義勇隊の碑

義勇隊の碑
当時、人口約千人の温井地区は一瞬のうちに働き盛りの男手を失い、お年寄りと女性、子どもだけが取り残された。
1946年10月、義勇隊が休憩場所にしていた材木町(現平和記念公園内)の誓願寺の協力で、境内に墓標を建て、遺骨の代わりに法名を書いた紙を埋めた。その後、誓願寺は同市中島新町-三滝町へと移転。61年に三滝墓苑に石碑が建った。しかし温井地区の人たちは被爆した土地から4キロも離れた慰霊碑に「死んだ場所から離れ過ぎて思い出が湧かない。忘れてはならないのに…」と心配し、64年8月6日、現在の場所に新しく自然石の碑を建てた。
石碑の裏には、犠牲になった人の名前が刻まれている。毎年8月6日には、碑の前で合同慰霊祭が開かれる。