韓国人原爆犠牲者慰霊碑

 碑は広島市平和記念公園の中にある。1999年、公園の外から移設された。

 完成したのは、それより29年前の70年。現在地から西へ約100メートル、本川橋を渡った対岸に建立された。公園内に新たなモニュメントの設置を認めない方針を市が決めていたからだ。そこは、第二総軍司令部づき教育参謀として被爆死した朝鮮李王朝の末裔(まつえい)、李鍝(イ・ウ)公がいったん救出されたといわれる場所でもあった。

 ところが、80年代に入り「公園の外にあるのは民族差別の象徴」という声が出始めた。碑を管理する在日本大韓民国民団(民団)広島県地方本部や市民、修学旅行生らの強い要望もあり、移設が実現した。

 碑は韓国産の石を使い、母国で制作した。高さ4・5メートル。亀が頭をもたげた礎石の上に碑柱が立ち、その上に二つの竜を刻んだ冠が載っている。韓国語で書かれた碑文には、日本の植民地支配がもたらした惨劇への悲痛な思い、平和への誓いと鎮魂の言葉が刻まれている。

 広島には20年代から植民地下の朝鮮半島から多くの人たちが移り住んだり、大戦中は徴用、徴兵されたりした。少なからずの朝鮮人が被爆したが、全容は分かっていない。石棺には、これまでに判明した2663人の死没者名簿が納めてある。8月5日には碑前で慰霊祭が営まれる。(難波健治)

(2011年12月5日朝刊掲載)