国民学校教師と子どもの碑

太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり

台座の背に被爆歌人正田篠枝(しょうだ・しのえ)(1910~65年)の短歌を刻んだ「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」は、平和記念公園(広島市中区)の西南、平和大通りの緑地帯に立っている。

1971年8月4日の除幕式には遺族や教師、小中学校の児童生徒ら1400人が集まった。構成詩劇を通して被爆した子と親、教師の証言が続いた。建立を呼びかけた校長会やPTA、教職員組合ら関係者にとって、待ち望んだ碑だった。

被爆当時、国民学校初等科の3~6年生は縁故疎開や集団疎開をし、市内には1、2年生と高等科の生徒らがいた。夏休みはなく、初等科は学校へ、高等科は建物の疎開作業に動員される子もいた。
原爆の犠牲になった国民学校児童生徒は約2千人、教師は約200人とされている。しかし、確認できたのは子ども885人、教師143人にすぎない。

高さ2.4メートルの像は、彫刻家芥川永(あくたがわ・ひさし)(1915~98年)が制作した。傷つき倒れた幼児を抱きかかえた女教師が悲しみに満ちた表情で空を見上げている。
毎年8月4日の慰霊祭に参列する広島県原爆被爆教職員の会の下原隆資会長(81)は「命を大切にする平和教育の継続発展を」と願い続ける。

(2011年10月3日朝刊掲載)