原爆ドーム

爆心地方向の上空約300メートルから見た原爆ドーム=広島市中区大手町1丁目

原爆ドーム(1948年撮影)
ドームの前身、広島県産業奨励館は、爆風のほぼ真下となったために、鉄骨の屋根とれんが造りの壁面はかろうじて残った。チェコ出身のヤン・レツルが設計し、15年に建てられた。一部5階の洋風建築は、城下町の面影をとどめる広島の名所となった。らせん階段や庭園には噴水があり、そばには元安川が流れる。近所の子どもたちには格好の遊び場でもあった。
笠井恒男さん(77)は、奨励館があった猿楽町(現中区大手町)で生まれ育った。「頭蓋骨で見つかった母や、行方知れずの父とダブり、ドームを見るのは今も好きじゃない」という。
広島市は「悲痛な事実を後世に伝え人類の戒めとする」と、67年に全国からの募金で保存工事を初めて実施。政府は95年に国の史跡に指定し、翌96年にはユネスコの世界遺産に登録された。「広島平和記念碑(原爆ドーム)」が登録名である。
(2011年5月2日朝刊掲載)