原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)

広島市中区の平和記念公園にある原爆慰霊碑は、米軍などによる日本占領が明けた1952年に建立された。親を原爆で奪われた児童・生徒が8月6日の平和記念式典で除幕した。

当初、市は遺骨を納める施設を国に打診したが公園内を理由に退けられる。代わりに、原爆死没者の名簿を納める「広島平和都市記念碑」として申請し、補助金も認められた。それが碑の公式名称となった。

底辺4.7メートル、高さ3.7メートル、上部の長さ8.3メートル。埴輪(はにわ)形の碑は、1949年に実施された公園設計コンペで当選し、後に世界的に名をはせる丹下健三さん(1913~2005)がデザインした。市の予算が乏しくコンクリート製だったが、名簿を納める石室は、国会議事堂にも使われた黒髪島(山口県)の御影石で造られた。横書き3行の碑文が石室に刻まれる。

「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」。広島大の雑賀(さいか)忠義教授(1894~1961)が考案した。除幕3カ月後。広島での世界連邦アジア会議に出席したインドの法律家ラダ・ビノッド・パール博士(1886年~1967)が碑文を痛罵した。「原爆を落としたのは日本人ではない」

被爆者でもあった雑賀教授は「碑文の主語は全人類である」と説いたが、市民を交えた論争が60年代末まで続き、くすぶった。市が「戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である」と和英文の説明板を設けたのは1983年だった。碑の屋根部分は1985年に御影石に造り替えられた。

毎年の平和記念式典で碑に納められる原爆死没者名簿は、昨年までに約26万9千人となっている。

(2011年5月16日朝刊掲載)