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ヒロシマ・ナガサキ ZERO PROJECT

被爆実態を正面から問う ハーシーのルポ「ヒロシマ」初稿現存 遺族ら「人間的視点」に誇り

 米国が広島に原爆を投下して約1年後、米国人記者が伝えた被爆地の姿は世界に衝撃を与えた。各地の新聞や雑誌に転載され、単行本にもなった故ジョン・ハーシーのルポ「ヒロシマ」。米コネティカット州のエール大に現存していた手書きの初稿に、遺族らは被爆の実態に向き合う真剣さを感じ取った。(田中美千子)

 ハーシーは1914年、宣教師の父が赴任していた中国天津で生まれ、10歳まで過ごした。第2次世界大戦中は太平洋、欧州戦線を取材。イタリア戦線をテーマに書いた小説「アダノの鐘」で45年、ピュリツァー賞を受賞している。翌年、取材のため広島に入った。

 「ヒロシマ」は、広島流川教会の谷本清牧師や広島赤十字病院の佐々木輝文医師たち、取材した被爆者6人の視点から原爆被害を描いている。初稿を確認したハーシーの孫でアーティストのキャノンさん(38)=ニューヨーク=は「発表には覚悟が要ったはずだ」とみる。全文を載せたニューヨーカー(46年8月31日)は科学者アインシュタインが知人に配るために大量購入するなど称賛された半面、原爆投下を支持する人びとから痛烈な批判も受けたという。

 原爆資料館の志賀賢治館長は「いち早く、しかも人間的視点から原爆被害を世界に伝えた大事な作品だ」と強調。初稿について「手書きだけに言葉を選びながら、大切に紙に刻んだ姿勢もにじむ」と評価する。

 ハーシーは65年からエール大の教壇に立った。85年に広島を再訪。取材した被爆者の足取りを追った「ヒロシマその後」を発表し、93年に78歳で亡くなった。

 「あの時代に一人の人間として行動し、広島で個々人に何が起きたか伝えた祖父を誇りに思う」とキャノンさん。自ら手掛け、出演もしたハーシーの足取りを追ったドキュメンタリーも完成した。4、5両日の午前0時から、NHKBS1で前後編が放映される。キャノンさんたちは米国での放映も目指すという。

(2015年8月2日朝刊掲載)