広島の豪雨禍 避難生活なお100人/佐伯区 '99/7/11 朝刊
六月末の豪雨で被災した広島市佐伯区内の住民約百人が、災害か ら十日余り経過した今も、なお不自由な避難生活を続けている。市 内で避難所が残るのは同区内の四カ所だけ。一部市営住宅への転居 も始まったものの、残された住民は、土砂の片付け、慣れない共同 生活や蒸し暑い夜に寝付かれぬ毎日…。二次災害や見通しが立たな い暮らしへの不安が、疲労に拍車をかける。
佐伯区の避難所と人数 10日現在、広島市調べ
河内小 65人 広島工業大 29人 老人いこいの家「窓山荘」 3人 藤の木小 6人 佐伯区内十五カ所の避難所には一時、計五百人以上が集まった。 このうち五日市町上河内の河内小学校には、徐々に減ったとはいえ 現在も最多の六十五人が残る。九日の一部勧告解除でも、自宅へ帰 った住民は少ない。
晴れ上がった十日、荒谷地区の住民の大半が土砂が流れ込んだ自 宅へ帰り、流木などを片付けた。避難所の体育館は昼間はほとんど 人影はなくがらんとしていた。中庭で、子どものケアのため訪れた ボランティア九人が、小学生たちと缶けりをしていた。
避難生活は十二日目。午前四時に起き、自宅を見に行く男性もい る。夜は多くが疲れ切った身を横たえる。消灯前、床に座り込んで 算数ドリルをする小学生。「共同生活で気が休まらない」と会社員 (31)。巡回する保健婦(50)は「病院の診察が必要なほど血圧が高い 人が、かなりいる」と心配する。
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現在も下小深川の二地域(五十九世帯)は、小さい土石の落下が 続き、降雨の予報がなくても避難勧告が解除される見通しは立って いない。下小深川、会社員佐々木輝彦さん(34)は賃貸情報誌を手に 「家は無傷なのに帰るに帰れない。戻れるのがどれぐらい先になる のか、見通しだけでも立ててほしい」と要望する。
家は残ったが避難所にとどまる上河内、会社員岡田国雄さん(57) は「上水道が使えず、帰れない」。下河内、会社員小久保藤孝さん (54)は、近く市営住宅に移る予定だが「地域のみんなと離れ離れに なるのが辛い」と漏らす。転居先が決まりそうな住民も「家から遠 くなる」「子どもの学校を変えたくない」と悩む。
同区屋代地区の被災者約三十人も、自宅の片付けなどに追われる 毎日だ。夕方、泥だらけで戻った親子は「とても家で暮らせない」 とぽつりと話した。九日夜、避難所の変更の知らせがあり、全員が 今の広島工業大から、東へ約一キロの五日市観音小学校へ移るよう 求められた。十一日までの期限付き。「なぜいきなり」の声も出た が、半数以上は指示に従う予定だ。
「食事などよくしてもらっている」と感謝する屋代三丁目、無職 原口甲子男さん(75)とアヤ子さん(65)夫婦。紹介された市営住宅四 階の部屋は「体力的に苦しい」と断った。自宅の土砂出しなどを続 ける甲子男さんは「元通り家に住めるまで、避難所に居させてほし い」と願う。
【写真説明】避難所の伝言板をじっと見つめる被災者。将来の暮らしへの不安が募る(広島市佐伯区五日市の河内小学校)
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