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長 崎 平 和 宣 言

 57年前の今日、8月9日、長崎のまちは一瞬にして廃虚と化しました。高度9,600メートルから投下された一発の原子爆弾は、地上500メートルの上空で炸裂し、数千度の熱線と猛烈な爆風が、老人に、女性に、そして何の罪もない子どもたちにまでも襲いかかりました。死者7万4,000人、負傷者は7万5,000人に及びました。これまでに、多くの人々が恐るべき放射線によって白血病やがんに蝕まれ、亡くなりました。半世紀余りを経た今も、被爆者は健康に不安を抱え、死の恐怖におびえる日々を過ごしています。

 大量無差別殺りく兵器である核兵器が再び使用されれば、地球環境の破壊はもとより、人類の生存さえ危ぶまれます。長崎市民は、自らの悲惨な被爆体験に基づき、世界に向けて核兵器廃絶を訴え続けてきました。しかしながら、今なお、長崎に落とされた原爆よりもはるかに強力な威力を持つ核弾頭が、3万発も存在し、その多くはいつでも発射できる状態にあります。

 昨年9月11日、米国で同時多発テロが発生しました。私たちは、一般市民へのこのような無差別攻撃に強い怒りを覚えます。これを機に、アフガニスタンへの軍事攻撃や中東における紛争が激化しました。さらに、核兵器の使用さえ懸念されるインド・パキスタンの軍事衝突が起こるなど、国際的緊張も高まっています。

 このような国際情勢の中で、米国政府は、テロ対策の名の下にロシアとの弾道弾迎撃ミサイル制限条約を一方的に破棄し、ミサイル防衛計画を進めています。さらに包括的核実験禁止条約の批准を拒否し、水爆の起爆装置の製造再開、新しい世代の小型核兵器の開発、核による先制攻撃などの可能性を表明しています。また、ロシアと締結した戦略攻撃兵器削減条約も、取り外す核弾頭の多くを再び配備できるようにするなど、国際社会の核兵器廃絶への努力に逆行しています。こうした一連の米国政府の独断的な行動を、私たちは断じて許すことはできません。世界の良識ある人々も強く批判しています。

 本年5月の、日本政府首脳による非核三原則見直し発言は、被爆地長崎の心を踏みにじりました。我が国は、唯一の被爆国として核兵器廃絶の先頭に立つ責務があります。そのためにも、核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」とする非核三原則を直ちに法制化すべきです。長崎市議会も法制化を求める決議を採択しました。政府は、北東アジア非核兵器地帯の創設に着手し、「核の傘」に頼らない姿勢を国際社会に向かって明確に示すべきです。同時に、高齢化が進む国内外の被爆者に対する援護の充実に努めてください。

 長崎においては、市民と行政が一体となって、2003年11月の「第2回世界NGO会議」の開催に向けて取り組みを進めています。今日、核兵器反対を宣言した自治体は、全国の8割にも達しています。私たちは、NGO・自治体及び国連機関と連帯を図りながら、平和な社会を築くために努力する決意です。

 被爆者は、「核兵器による犠牲は自分たちが最後でありたい」と願っています。若いみなさん、この被爆者の平和への思いを受け止め、自らが何をなすべきか考え、行動し、将来に語り継ごうではありませんか。今、長崎には、平和のためのボランティア活動に取り組む数多くの若者がいます。長崎市は、このような活動の輪が広がるように支援し、自主的に行動する若者を育成するための「ナガサキ平和学習プログラム」をさらに推進します。

 相互理解と話し合いによって核兵器をなくすことが、平和な世界を実現するための絶対条件です。市民のみなさん、私たち一人ひとりが立ち上がり、日本を、世界を、平和へと導いていこうではありませんか。

 核兵器による惨禍は長崎を最後にしなければなりません。被爆57周年にあたり、原爆で亡くなられた方々のごめい福をお祈りし、長崎市民の名において、核兵器がなくなるその日まで、たゆまず努力していくことをここに宣言します。

 2002年(平成14年)8月9日

長崎市長 伊藤 一長
広島市『平和宣言』 2002年

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