1846
|
英国がギルギットやラダック地方を含む広範な領土
を治めていたカシミール地方の統治者であるシーク教徒のマハラジ
ャ(大王)を打ち破った後、英国側に立ってその戦闘を手助けした
ジャムー地方のヒンズー教徒のマハラジャに土地を売却。ジャムー
・カシミール地方(J&K)が、英国インド亜大陸植民地下の王候
州となる
|
1947・8・14 |
パキスタンが英国植民地下のインドから分離独立
|
8・15 |
インドが独立。J&Kも一つの国家として独立。マ
ハラジャの独裁支配に対し、パキスタン軍の支援を受けたイスラム
教徒の反乱が始まる
|
10・24 |
カシミールのイスラム教徒勢力が「アザッド(自
由)カシミール」独立宣言
|
10・26 |
マハラジャがマウントバッテン・インド総督を通
じ、J&Kのインドへの「暫定的合併」を条件にインド軍の派遣を
要請。インド政府がナショナル会議のシェイク・アブドラ党首をJ
&K暫定政府の首相に任命
|
10・27 |
インド政府がスリナガル空港に軍隊を急派。J&K
をめぐり第一次印パ戦争に発展、年末までに大規模な戦いは収束
|
11・2 |
インドのネール首相がラジオを通じ、カシミールに
「平和と秩序」を確立後、J&Kの将来的地位を住民投票で決める
ことを確約
|
1948・1・1 |
インドがJ&K問題を国連安全保障理事会にかける
|
4・21 |
国連安保理が印パ両国に戦闘を停止し、J&Kがい
ずれの国に加盟するか、自由で公正な住民投票ができるよう両国に
勧告決議
|
1949・7・27 |
印パ両国が停戦ラインに合意(カラチ合意)。だが
双方とも軍隊の撤退を拒否
|
1950・1・26 |
インドが非宗教に基づく共和国憲法を採択。この中
で、J&Kに、独自の国旗や首相(プライ・ミニスター)の地位を
認めた「370条項」を盛り込む
|
1953・8・9 |
インド政府が住民投票を要求するJ&K政府を解
散。独立を求めるシェイク・アブドラ首相を逮捕し、74年まで刑
務所に拘束
|
1956・3・23 |
パキスタンがイスラム教に基づく共和国憲法制定。
現憲法は73年に誕生
|
1957・1・24 |
国連安保理がJ&Kのインドへの合併提案を、「住
民投票で決める」との国連決議に反するとして却下
|
1962・9・8 |
中印戦争ぼっ発、10月19日に停戦。勝利した中
国がJ&Kのラダック側の一部を占領
|
1965・9・6 |
J&Kをめぐり第二次印パ戦争ぼっ発、約2カ月間
続く
|
1971・12・3 |
第三次印パ戦争ぼっ発、同月17日に停戦。東パキ
スタンがバングラデシュとして独立
|
1972・7・3 |
印パ両国が71年12月17日時点の停戦ラインを
「LINE OF CONTROL(支配ライン)」として認める
ことに合意(シムラ合意)。現在の暫定国境となっている
|
1974・5・18 |
インドが初の核実験を実施
|
1975・2 |
インドのインディラ・ガンジー首相が、前年に釈放したJ&
Kのシェイク・アブドラ元首相をJ&Kの首長(チーフ・ミニスタ
ー)に任命、J&Kをインドの実質的な州の一つと見なし始める |
1984・4 |
インド軍がカラコラム峠付近より西側に侵攻。
パキスタン軍とのシアチン氷河付近での戦闘が始まる
|
1986・3 |
インド政府がJ&Kに派遣したジャグモハン知事、
後に大統領がニューデリーから直接J&Kを統治
|
1987・3 |
J&K州議会選挙(7回目)でインド政府よりの州
議会・政府誕生。多くのイスラム教徒が選挙をボイコット
|
1989 |
年末ごろからカシミールのイスラム教徒青年がJ&
Kの自治権、独立を求め武装闘争を開始。イスラム教徒の外部部隊
も加わり、インド治安部隊との戦闘が激しくなる
|
1990・1・18 |
J&K政府がインド治安部隊の非人道行為に抗議
して解散、インド政府の直接統治が始まる
|
1996・10・8 |
9年ぶりのJ&K州議会選挙(9月・8回目)で、
インド政府よりの州議会・政府が再び誕生。選挙ボイコットを呼び
掛けたイスラム教の政治指導者の多くが逮捕され、パキスタン政府
は選挙を「まやかし」と決め付け
|
<参考文献:『カシミールへのインドの約束』(1994年刊)『悲
劇の誕生 カシミール1947年』(1994年刊)『カシミールの悲劇』
(1983年刊)など>
|