中国新聞社

人類は生きねばならぬ

なぜ伝わらぬ核の恐怖
新たな発信
'98/7/23
(2)在日インド人の思い

被爆者を招き、体験を聞く計画を話し合うバナジさん(右)と貴久子さん夫婦(神戸市北区)
 異文化との交流に光探す

 「核の怖さは本当に伝わっているのでしょうか」。神戸市北区に住む在日インド人シッダールタ・バナジさん(38)は逆にこちらに問い掛けた。在日七年。ポンプ製造会社に勤めている。

 母国が核実験を再開し、パキスタンが対抗した直後の六月、妻喜久子さん(38)と二人の息子を連れて広島市中区の原爆資料館を訪れた。館内に入って少しがっかりした。

 被爆資料がライトを浴び、整然と並んでいる。「原爆はもっと悲惨で、むごかったのではないか」。資料館は人類初の悲劇を昔話にしていると感じた。

 子どものころ、ふるさとカルカッタは戦場だった。一九七一年の東西パキスタンの内戦にインドが加わっての印パ第三次戦争。

 自宅近くで繰り広げられた銃撃戦を見た。空襲警報に身を伏せたこともある。道端で行き倒れる路上生活者もいた。戦争の生々しい残酷さは肌にしみ込んでいる。

 「貧困を顧みずになぜ戦争をするのか。防ぐ手だてはないのか」。カルカッタ大学で生物学や経営学を学び、地元の製薬会社に勤めている間もずっと心の底にわだかまりがあった。

 その答えを探すため来日以来、ヒロシマに触れようと考えていた。印パが相次いで強行した核実験が被爆地に急がせた。それだけに、資料館の中に押し込められたヒロシマに失望感を抱いた。

 今も自問は続く。なぜ、母国は核兵器を所有したのか。つい三年前、日本人はフランスの核実験に抗議して不買運動を起こしたばかり。なぜ、何もなかったようにサッカーのワールドカップ応援に押し寄せる気になれるのか。

 回答はまだ見つからない。だが、妻の喜久子さんの活動が一つのヒントをくれた。「互いの理解を深め、子どもたちも一緒に平和な地球を考えよう」。地域で文化交流サークル「ドキドキ体験ワールド」をつくろうとしていた。

 二人は十年前にカルカッタで出会い結婚した。喜久子さんは歌手になる夢が破れ、世界各国を回って踊りを学んでいた。いろんな文化に触れることで人間同士のつながりが強まることへの確信が「体験ワールド」につながった。

 初回は今月十八日、神戸市北区の唐櫃小講堂で開いたフラメンコ教室。Tシャツ姿の小学生と保護者三十人が指を鳴らし、ステップを軽やかに踏んだ。喜久子さんに促され、バナジさんも輪に加わる。

 二回目の会合は八月一日に開く。体験を聞くため、神戸在住の被爆者を招くことを決めている。「生の証言を聞き、本当のヒロシマを感じ取りたい」。夫婦が出した結論である。

◇  ◇  ◇  ◇

 神戸とインドの交流は、定期航路が開設された明治以降、百二十年の歴史を持つ。市内で暮らすインド人は千人近い。

 核実験後、兵庫県加古川市は市民の反発を考え、計画していた「インド村」の建設構想を凍結した。

 一昨年、在大阪・神戸インド総領事が「震災復興に寄与したい」と申し入れたのを機に、ダム湖畔約三十ヘクタールにマハラジャ宮殿や象を飼育するレジャーゾーンを整備する予定だった。



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