原子爆弾体験記 馬場 初江

「先生ー」 教え子の叫び

 八時の朝礼を済ませた私は、生徒出席簿を開いた。(中略)ソロバンの冴(さ)えた音が、鉄筋コンクリートの高い天井へ響く。ぺらぺらと、紙片をめくる音が、スタンプをつく音が、騒然として今日の仕事は始められた。

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被爆2カ月後の広島市中心街。手前は泉邸(縮景園)、右上の建物は福屋百貨店本館と別館、左隣が旧中国新聞社社屋
(広島市の原爆資料館所蔵)

濃黄色の大閃光

 「先生」。生徒の声にふと私は顔をあげた。目が痛いので逓信病院に行ってきたいから、外出証明書を書いてくれ、と言うのだった。清潔に洗濯された白鉢巻を小麦色の額に結んで、緊張した面ざしで立っている。

 「じゃあね、お昼の休憩時間に行って来たらどう?今作業中だし…」。私がそうすすめると、生徒は素直に納得してくれた。私は、赤い筆入れの中から、印を取り出して、受持教員の欄へ捺(なつ)印した。筆入れの中へ、印をぽんと入れて、蓋(ふた)をしようとした。その瞬間、いきなり眼前が、パッと、真黄色になった。今にして思えば、その瞬間こそ、「文明の悲劇」への、第一歩だったのだ。はっと驚いて、目を見はった。不気味な濃黄色の閃(せん)光は、私の視界に満ち溢(あふ)れ、何一つとして物の形を見ることはできなかった。閃光は、五秒も続いたであろうか?全く体験したこともない、大閃光であった。

 「八丁堀あたりで、ガソリンが燃える…まさかそんな…それにしても…」。ちらっと、そんなことが脳裡(り)をかすめた瞬間、突然此(こ)の世から太陽が失はれたかのように、一ぺんに暗黒の世界と化し、腹の底までつたわるような、物凄(すご)い大振動が起こった。私達は、たちまちにして、猛烈な爆風と、真黒い、土煙にまきこまれてしまった。「空襲!」と、誰かが叫んだ大声も、掻(か)き消されてしまった。閃光に呆(ぼう)然としていた私も、それこそ天地を引き裂くような、物凄い振動に、素早く机の下へころがり込んだ。丸くなって伏せていた私は、両手で、目、鼻、耳、と、兎(と)に角力いっぱい顔面を被(おお)うた。全く無意識の動作だった。それっきり私は、気が遠くなって、意識を失ってしまった。二十幾万の広島市民の生命と、地上のあらゆるものを、瞬時にして粉砕し尽くしたもの!これが、原子爆弾の世界における第一声だったのだ!

 どの位時間が経過したものであろうか?ものの四、五分であったろう。ふと、私は意識を取り戻した。ああ、私は生きている、生きていたのだ。私は、生きていることを、不思議に思いつつも、喜びに胸がふるえた。しかし、それはほんの瞬間で、次におそい来たものは、「空襲!」という、恐ろしい現実だった。不安と恐怖と戦慄(りつ)が私をしめつけた。私はおののきながら、夢中になってもがいた。口の中にはざらざらと土が入つている。プッ、プッと、吐き出した。歯をかみ合はすと、げじげじと、気味の悪い音がしてとれない。幸いかすり傷一つ受けなかった私は、ほっと、安堵(ど)の胸を撫(な)で下ろした。土をかぶった髪は、ピンも何處(どこ)へか飛んでしまって、恐ろしく降り乱れ、朝方きちんと櫛(くし)けずった面影など、いまは微塵(みじん)もなかった。

 (中略)懸命に這(は)い出した時、「先生ー 先生ー」「先生ー どこー?」と、あちらからも、こちらからも、生徒たちの悲愴(そう)な叫び声と、泣きわめく声が聞こえてくる。私はハッと我に返り、「ここよー ここよー 早くー」と、懸命に叫んだ。手探りで這い出した私は、胸が苦しくて、思うように声が出ない。「先生ー どこー?」「ここよー」「先生ー」「はーい、ここよー」「先生ー」。生徒と私は、不気味な暗い崩壊された部屋の中で、お互いに泣きながら、生徒の名を、私の名を、幾度呼び続けたことであろう。

 生徒達の必死の叫び声は、生き地獄の悲痛な叫びとなって絶えなかった。暗闇の中にさまよう私達は、何も見ることが出来ない。唯(ただ)、なにか巨大なものが、私の眼前に崩壊していることが、ひしひしと感じられるだけである。私は、ふるえる手で、少しずつ探りながら、生徒達の泣き声の方へ近づこうとして、懸命になった。自分の声とも思えない、かすれた叫び声で、生徒達を呼びながら…。四、五人の生徒達が、私を探し求めて、両脇(わき)からしがみついて来た。がたがたふるえながら私は、生徒達を固く抱きしめた。「怪我(けが)は?さ、早く、早く逃げて、逃げるんですよ」「先生ー」と、生徒達は、尚(なお)も私のブラウスをしっかり握って、消え入るような声で泣いた。一刻も早く避難するようにと、私は、乾き切ったのどをふるわせて命令した。

 

名札を血に染め

 白鉢巻の生徒達が右往左往している姿が、女子挺身隊の人達が、泣きながら、友の名を呼びつつ、出口をたずね廻(まわ)っている姿が、ぼーっとして、私の目には夢のようであった。まるで此の世の終りを告げる断末魔の光景である。

 足の踏み場もなく、一面に散乱した紙片が、仄(ほの)白く目に映った。崩壊された窓から入って来た黒い煙に、ギヨッとして外を見ると、真向いの福屋旧館が、既に渦巻く黒煙と、生き物のような火焔(かえん)に包まれている。いけない!と思った瞬間、生暖い風が、さーつと顔を撫(な)でた。「早く、皆、急いで!」。私は切れ切れに、そう叫んで生徒達をせきたてた。

 「先生ー今村さんが…先生ー」。そう言う生徒の声に、私はあわてふためいて、その方へ行こうとしてあせった。何か不吉な予感が、チラッと脳裡に閃(ひらめ)いた。大半避難してしまったうす暗い部屋は、不気味な空気が漂って、ゾッと身ぶるいする程である。

 「今村さん!今村さん!」。窓辺に駆けつけた私は、べっとり血まみれとなつて、倒れている生徒を、何度もゆすぶって呼んだ。声はない。頭から、手から、足から、流れ出る血潮が、そこら中の床を、真赤に染めている。あまりの大負傷と、生臭い血潮に、私は呆然となってしまった。手の施しようもなかった。頭から首のあたりには、無数にガラスの破片が、つきささっている。両腕の筋肉は、ガラスの破片の為に、あちこち深くえぐり取られて、正視に堪えぬ程、凄惨(せいさん)な有様である。

 「どうにかして、つれ出さなければ…」。そう思った私は、必死になって抱き起こした。「進徳高女、今村千代子」と、書かれた名札が、血でべっとりとなった左の胸に、かすかに読めた。脅えている生徒に手伝わせて、やっと背負うことができた私は、うろうろしていた、二、三人の生徒を先に逃げさせて、一人残ってしまった。生徒を背負って、ほっと一息ついた私は、尚(なお)、他の生徒を尋ねてうろうろした。

 東の窓から、中国新聞社が、天空をも焦がさんばかりに、猛烈な火柱となって、燃え上がっているのが見える。黒い人影が、半狂乱のように右往左往していたが、救いを求めるかのように、両手を出して窓辺によりかかり、そのまま動かなくなってしまった。私は、思わず目を閉じた。福屋七階の此の職場に、学徒と私の白骨!ああ、私はぞっとして身ぶるいした。どうにかして逃げ出そう。必死になった私は、血眼(ちまなこ)となって階段を探した。どこをどう歩いたのか、全く記憶になかったが、苦痛を訴える生徒を背負った私は、血まみれとなって、やっと階段を見つけた。ややもすると、ずり落ちそうになるのをすり上げながら、むちゃくちゃに階段を駆け降りた。

 ぬるぬるとした、生臭い血がどこまでも続いている。何階まで降りたのであろうか?唯、夢中であった。

 逃げおくれた若い女の人が、血潮に染まった顔に、髪をふり乱し、虫の息も絶え絶えに、階段の隅っこによりかかっていた。ピンクのブラウスが、無残に引きちぎられている。「ここにいては危険ですよ、逃げましょう、ね早くー」。そう言ったけれど、言葉はない。お気の毒に思ったけれども、両手を取られてしまっている私には、何一つ為(な)す術(すべ)はなかった。

 やっと降りて来た一階の出口には、黒山の人である。人一人しか通れそうもない狭い出口を、鮮血にまみれた男や、髪を振り乱した女が、犇(ひしめ)き合っていた。「早くしろ、急げ」と、生き地獄の悪鬼かとも思えるような、血まみれの顔に、目をぎょろつかせた男が怒号する。コンクリートの床は、忽(たちま)ち血の海と化し、生臭いにおいが、むっと鼻をつく。強こうに押しのけては先に立つ男が、歯痒(がゆ)くてならなかったけれども、若い女の私には、どうすることもできなくて、後に残されるばかりであった。

 悪夢のような、恐ろしい印象は、私の胸を苦しく、しめつけた。 とめどもなく流れ出る血潮は、私の肩からブラウス、もんぺへと伝わって、その生臭いにおいに嘔吐(おうと)を催しそうになる。幾度か、私は、ブラウスの袖(そで)で、片方ずつ額にかかる血を拭(ぬぐ)い取った。

 

生徒背負い北へ

 やっと出口から抜け出した私は、周囲を見回して、唖(あ)然として足も竦(すく)んでしまった。一瞬にして廃虚となってしまった広島市、大建築物の崩壊した残骸(がい)が、眼前にあるではないか。親を求めて泣き叫ぶ幼子の、声も嗄(か)れ果て、焼け爛(ただ)れて、薄黒くなっている小さな、素裸の爛(らん)死体は、あまりにも悲惨である。無残に倒壊された家屋は、わずかに狭く道路を残すのみで、粉砕された瓦(かわら)や、ガラスの破片で足の踏み場もない。全身火傷して、痛々しく皮がはがれてたれ下がっている男や、髪を振り乱した女が、地獄の亡霊を思わせるような、半狂乱の風態で、右往左往している。

 ふと私は、眼前に、女子挺身隊の伊藤さんの姿を見つけた。両肩に長く三つあみされていて、黒く美しかった髪が、血に染まった顔面を被うて、ふりみだれている。「まあ、伊藤さんーお気の毒に…」。私は、言葉も出なくて、泣けてしまった。

 足を負傷して逃げ遅れていた二人の生徒が、目ざとく私を見つけて、足を引きずりながら走りよってきた。瀕(ひん)死の生徒を背負った私は、二人の生徒を左右につれて、とぼりとぼりと北へ向かって歩いた。顔面は異様にふくれて、皮ははげてたれ下がり、唇は大きくふくれ上がって上下に開き、不気味に白い歯をのぞかせ、背中、胸、両手、両足、と、焼け爛れた人達が、私達の前にも、後にも、長く長く続いて歩いて行く。わずかに腰のあたりに、もんぺの名残をとどめた女の人が、私の前を、とぼとぼと歩いている。太陽は容赦もなく、じりじりと照りつけた。

 木片や瓦が壊れかかっている道端の、防火用水の中へ、子供が上半身をつっ込んで、真黒に焼け爛れて死んでいた。三歳くらいであったろうか。すぐ傍らの、アスファルトの上に、白い猫が、無残な死骸を晒(さら)している。「此の辺、幟町じゃなかったかしら?」。ふとそう思った私は、教会のあったと思われるあたりを見回した。それらしい名残は微塵もなかった。道端にころげていた老婆が、どうか私を背負ってくれと、両手を合わせんばかりに懇願する。一緒に逃げましょうと、言ったけれど、毛布と、風呂敷(ふろしき)包みの上に、伏せるようにして、動こうとしない。白髪が、瘠(や)せこけた、皺(しわ)の多い顔面へ被(おお)いかぶさって、凄く不気味だった。

 目玉が、鋭く光っている、日焼けした顔の陸軍軍人が、軍刀を杖に、避難民の指揮をしていた。額に巻かれた、国防色の三角布に血がにじんでいた。此處(ここ)は、浅野泉邸であろう。松林が燃え始めていた。

 

風に鳴く桜の葉

 私達は、間もなく白島線へ出ることが出来た。窓ガラスや、車体が倒壊された、空っぽの電車が、ぽつんと線路の上に、取り残されている。生徒達は、素早くその中から、藁(わら)草履を見つけ出して、片方ずつ分けて穿(は)いた。欄干の崩れ落ちた、常磐橋を渡る頃、饒津(にきつ)神社は、既に燃えて、火焔は道路端の森へ移っていた。鉄橋を渡りかかった、長い貨物列車が、車輪をこちらに向けて転覆している。長い車体が、土手へ、水中へ、散乱している様は、巨大なる動物の大往生した姿にも見えた。

 暫(しばら)く川に沿って歩いていた私達は、やっと土手下の草叢(くさむら)に、木影を見つけた。そっと生徒を休ませた。牛田の町である。土手の桜の緑葉が、風にさらさらと、葉裏を見せて鳴った。薬も包帯もない私は、早速二人の生徒に、薬を尋ねて歩かせた。ブラウスも、もんぺも、血でべっとりとなった私は、もんぺ下から、スリップを引っ張りだして、横にべりべりと引き裂いて、何本かの包帯を作った。「先生ー 水ー」と、全く血の気の失(う)せてしまった唇を、微(かす)かにふるわせて、生徒はしきりに水を欲(ほ)しがった。「今ね、西村さん達が貰(もら)いに行っているんですよ、すぐ帰って来るからね、苦しい?も少し待ってね……」。そう言って、私は真赤に染まったブラウスの前開けを、べりべりと引き裂いて、胸をあけてやった。苦しいだろう…。どうにも手の施しようがない私は、いらいらして来て、汚いハンカチを、小川の水に浸しては、胸のあたりを、少しずつ、少しずつ、そっと拭いてやった。



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