65年版の体験記収録分 
名前(被爆時の年齢)▽被爆時の職業▽爆心地からの距離・被災状況や記述概要。400字詰め原稿枚数。(敬称略) 
◆一般◆ ◆児童・生徒◆ 
新保英夫(43) 
▽不明▽0・8キロの中区鉄砲町の自宅近くで家屋疎開作業中。5歳の二女と2歳の三男、弟とおいを失う。18枚。
堤壽三(41) 
▽会社員▽3・5キロの南区大洲の自宅で妻子4人と。中学1年の長男は中区土橋町の家屋疎開に動員されて死去。11枚。
沖土居春子(28) 
▽主婦▽1・5キロの土手町(南区)の自宅。16枚。
岩本伯三(46) 
▽食糧事務所運転手▽1キロの市役所付近で家屋疎開作業中。妻子は死去。便せん13枚。
森脇昭幸(19) 
▽応召中▽2・5キロの南区の西部第九部隊電信隊の営舎。11枚。
山科光枝(18) 
▽放送局勤務▽1・5キロの南区稲荷町の自宅。8枚。
伊藤勘六(48) 
▽遊郭店主▽1キロの中区小網町の自宅兼店。妻と娘を失う。便せん12枚。
長野富美子(9) 
▽姉と2人で愛媛県に疎開中。自宅は0・7キロの中区堀川町。両親が死去。7枚。
重道昇(10) 
▽1・5キロの西区横川町の青年会館にあった教室。9枚。
名郷智万(14) 
▽3・5キロの南区大洲の鉄工所で動員作業中。9枚。
中前妙子(15) 
▽動員先の540メートル、中区袋町の広島中央電話局。13枚。
