「核関連施設はすべて中央政府の管轄。われわれには手の届かないことが多い」と話すバレリー・コニャシュキンさん(トムスク市)
「サムース村の住民調査では、染色体を世界20カ国のラボに送り分析した」と話すニコライ・イリンスキフさん(トムスク市)

中国新聞

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21世紀 核時代 負の遺産


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 影響の解明に機密の壁

  「さあ、現場へ出かけよう。ラマシカ川は、シベリア化学コンビナート(トムスク核施設)から放射性廃液が直接流れてくる最初の 川だよ」。トムスク工科大学の大学院生で、「シベリア環境同盟 (SEA)」の共同代表を務めるアレクセイ・トロポフさん(24) は、勇んで言った。

 トムスク市から北西へ約三十五キロのサムース村。この村に住む SEAメンバー、セルゲイ・フリッシュマンさん(24)を加えた国産 大型車は、村から十五キロ余りのラマシカ川を目指した。松林に囲まれたトム川沿いの小道。春の洪水時にえぐられたのか、ドライバ ーはぬかるみの深い穴に何度もハンドルを取られる。約五十分、ようやく「衛生ゾーン」内のトム川とラマシカ川の合流点に到達し た。


(上)トム川の合流地点に近いラマシカ川で、サンプル用の水を採取するアレクセイ・トロポフさん(左)とセルゲイ・フリッシュ マンさん。「汚染調査に日本の研究者の協力を得たい」とトロポフさんは願う(シベリア化学コンビナート西側近郊)
(右上)トム川で捕れた「カラシ」と呼ばれる魚。放射線測定器は敏感に 反応した(サムース村)


 「ここらでサンプルを取ろう」とトロポフさん。太ももまでの長 靴をはいた彼は、フリッシュマンさんと川べりに近づいた。慎重に ペットボトルに水をくみ、スコップで川の汚泥をプラスチックの袋 に詰めた。アメリカ製の測定器で、水面近くの放射線レベルを測る。「毎時四十マイクロレントゲンだ。自然放射線量の約四倍。廃液を流したときだと、毎時百五十から二百マイクロレントゲンはあるよ」



 トロポフさんによると、トムスク核施設は操業初期の一九五〇年 代半ばから六〇年代にかけ、大量の高・中レベルの放射性廃液をラ マシカ川に直接投棄したという。汚染水はトム川からオビ川に至り、ウラル地方にあるマヤーク核施設からの廃液とともにカラ海ま で達した。その後は廃液を露天の貯蔵池に保管。半減期の短い核種の影響を減らし、定期的に流しているらしい。

 「でも、おかしいんだ…」と、トロポフさんは前言を翻すように言った。「二〇〇〇年夏にアメリカの環境団体と一緒にラマシカ川 を調査したときは、藻から半減期二十九年のストロンチウム90と一 緒に、半減期わずか十四日の燐(りん)32が検出された。それも一 キログラム当たり十一万ベクレルと非常に高かった。今でも廃液を直接川へ流しているに違いない」

 環境問題を専攻するトロポフさんは三年前から川や湖の水、土壌、魚、植物などの放射能汚染調査を続けている。採取したサンプルは実験室へ持ち帰って分析する。

 ラマシカ川からの帰路、サムース村の子どもたちが近くのトム川で釣ったカラシ(和名フナ)など数匹の魚を買った。放射線測定器 を近づけると「ピ・ピ・ピ…」と、どれも反応した。

 「人口約一万人のサムース村やトム川沿いのほとんどの住民は、放射能汚染魚を食べている。各地の村やトムスクの市場にも出てい るよ」と、フリッシュマンさん。彼の家族も、自身が環境監視活動に加わる昨年までは何の疑問も持たずに食べてきたという。

 トムスク核施設の周囲六十八キロ、面積百九十二平方キロに及ぶ「衛生ゾーン」。この中でのイチゴ・キノコ狩り、カモ・シカなどの狩猟、トム川での釣りは禁止されている。だが、失業者の多い村の人たちは「生きていくために食べざるを得ない」(フリッシュマンさん)というのが実情である。

 こうした村びとに健康上の問題はないのだろうか。サムース村を訪ねた翌日、かつて村の子どもらの健康調査を手掛けた細胞遺伝学 者で、シベリア医科大学教授のニコライ・イリンスキフさん(57)を、トムスク市内の研究室に訪ねた。



 簡素な部屋。眼鏡の奥の穏やかなまなざし。律義にあいさつを交わしたイリンスキフさんは、席に着くと説明を始めた。

 「サムース村での調査は、トムスク核施設の再処理工場で事故が起きた直後の九三年から二年間続けた。村の二百四十六人の生徒と 十八人の教師の血液を分析したところ、染色体異常は汚染度の少ないシベリアの他の住民と比べ、十倍から二十倍高いことが分かっ た」

 教授によれば、村びとの被曝(ひばく)は大気を通じてだけでなく、魚などを食べることによる内部被曝もあるという。

 「この傾向は、セミパラチンスク核実験場の北に当たるアルタイ地方(ロシア)の住民にも見られることだ。こうした地域では、がんや慢性疾患など病人が多い。でも、遺伝的な影響を含め、八〇年代後半まではすべてが秘密にされた」

 イリンスキフさんは、秘密主義の背景について、自身の専門である遺伝学の例を挙げた。

 「わが国の遺伝学は、一九二〇年代までは非常に発達していた。しかし、スターリン時代になって弾圧された。特に七四年以後、放 射線遺伝学の研究所は、モスクワの秘密研究所を除いてすべて閉鎖された。復権したのは八六年のチェルノブイリ原発事故以降のこと だ」

 「なぜ閉鎖を?」。その問いに教授は「それはね…」と無念そうな表情を浮かべて答えた。

 「実は核工場の事故などで大量に放射線を浴びた労働者らに、染色体異常の多いことは早くから分かっていた。もちろん、核工場の 付近住民や核実験場近くの住民にも同じことが言えた。しかし、そのことよりも核開発がすべてに優先したということだよ」

 「トムスク7」のコード名で知られた旧ソ連最大のシベリア化学コンビナートも例外ではなかった。兵器用プルトニウムなど半世紀 近い生産活動は、周辺の環境や人々に悪影響を与えてきた。

 だが「潜在的な大きな危険は核施設内部にこそ潜んでいる」と、多くの専門家は指摘する。その一人、この分野で長年働くトムスク州生態・環境安全部長のバレリー・コニャシュキンさん(53)。トムスク市内の環境関連ビルで会った彼は、具体例を挙げて説明した。

 「第一に放射性廃棄物の問題だね。コンビナートでは六三年から、ポンプで高・低レベルの廃液約三千六百万立方メートルを、地下二百 四十〜三百四十メートルの砂地層にパイプを通じて直接投棄してきた。蓄積された放射能量は、チェルノブイリ原発事故時の二十二 倍、約四千万テラ(10の12乗=一兆)ベクレルにも達している」

 投棄された廃液のうち、軽い放射性粒子は砂の層を通過し、重い粒子は残って地下を温めている。「コントロールの利かない小さな 原発ができているようなものだ」と、コニャシュキンさん。

 廃棄場所から十五キロほど離れた地点では、地下約百メートルからトムスク市民の上水をポンプでくみ上げている。両者間に生じる人工的な圧力差。「そのために、温められた廃棄物が地表に上がってきて上水用の地下水を汚染してしまう可能性がある」

 さらに敷地内には、ストロンチウム90やセシウム137など高・中レベルの廃液十八万立方メートルが、複数の露天の貯蔵池に捨てられ ている。放射能量にして約四百六十六万テラベクレル。その池にカモが飛来し、冬場はインドで越冬。狩猟で得たカモの汚染肉を、イン ド人も食していると言うのだ。

 貯蔵池からの地下の汚染も悩みの種である。「コンビナートでは最近、二十年間でこの廃液を取り出し、池を埋める計画を立ててい る。だが、その廃液をどこへ持っていくのかとなると、秘密のままで何も分からない」。住民の健康や財産を守る立場のコニャシュキ ンさんの懸念は尽きない。

 数万トンの放射性スクラップや固形廃棄物も敷地内に埋められている。



 「こうした廃棄物のほかに…」と、コニャシュキンさんは肩をす くめながら言葉を継いだ。「アメリカとの戦略兵器削減条約(ST ART)合意に基づいて解体された、核弾頭から取り出された高レベルのウランや、起爆用のプルトニウム・ピット(弾芯(だんしん)) が持ち込まれ、古い倉庫に保管されている。ピットの数は二万個以上になっている」

 これらの物質は、核弾頭を解体した他の施設から列車で運ばれ、 トムスク市内を通過してコンビナートへ入る。事故が起きれば広大な地域の汚染につながるのは必至である。

 「われわれはトムスク市内を通過するときだけでも監視しようとしたが、軍事機密ということで拒否された。地方の行政責任者には 列車がいつ通過しているかすら分からないんだよ…」

 半ばあきらめ顔のコニャシュキンさん。彼の話に耳を傾けながら、薄ら寒いものを覚えた。

 






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