放射能汚染がひどいため、事故翌年の1987年にブルドーザーで民家が埋め立てられたカルパビッチ村跡。村名と「67軒・185人が住んでいた」との2つの標識だけが、村の存在を示す唯一のあかしだ(ゴメリ州)
健康増進を目指すリハビリ治療の一環で、気管支の浄化に取り組む放射能汚染地帯に住む子どもたち(ゴメリ州シジェンニキ村)

白血病で入院中の14歳の少女に「心配しなくていいよ」と、優しく声をかけるタチアナ・シュミヒナさん(ゴメリ市)

中国新聞

Top page放射能用語BackNext
21世紀 核時代 負の遺産


 [15]
「ソ連時代は電気も供給されたが、独立後は重荷だけを残された」とこぼすバレリー・シェフチュックさん(ミンスク市)
 

 
ヒバクシャ 4人に1人

 ウクライナでの取材を終え、空路首都キエフから北西へ約四百五十キロのベラルーシの首都ミンスクへ向かった。約一時間の飛行中、プロペラ機の眼下には、緑の平原がどこまでも広がっていた。

 到着後、その足で市内中心部のビルの一室に、チェルノブイリ原発惨事問題委員会(旧非常事態省)のバレリー・シェフチュック副議長(38)を訪ねた。

 医師でもあるシェフチュックさんは、セシウム137によるベラルーシの汚染地図を机上に広げ、現況を話し始めた。

 「見ての通り、わが国は国土の二三%が汚染された。特に当時の風向きの影響でチェルノブイリ周辺から北東部にかけてのゴメリ州がひどい。今も六千平方キロは人も住めないし、作物も植えられない状態だ」

 放射性物質が広範な地に降りそそぎ、「地球被曝」とも形容された一九八六年のチェルノブイリ原発事故。中でも、「死の灰」の約三分の二が降下したと言われるベラルーシは、最大の被害を被った地域でもあった。  
 


 これまでに強制移住させられた家族は約十三万五千世帯。彼らを含め汚染地域から非汚染地域へ移り住んだ人たちは約百万人。強制移住の対象外で、今も汚染地域内に住む人たちは約百四十万人にのぼる。「この国の人口約一千万人のうち、二百五十万人近くがヒバクシャ。つまり四人に一人は何がしかの補償対象になっている」

 現在支給されている汚染地域手当は、一人当たり月額六百〜千二百七十ベラルーシルーブル(約六十〜百二十七円)。大きなフランスパンだと、日本円にして一個二、三十円。ガソリンだと一リットル六十円はする。補償額を尋ねたとき、「口にするのも恥ずかしい」とシェフチュックさんが説明をためらったのもうなずける。

 ただ、補償には金銭だけでなく、被汚染地域へ移り住んだときのアパートの個人所有や、健康状態に応じて年間一〜十週間のサナトリウムでの有給休暇といった特典が認められていた。甲状腺(せん)がんや白血病など病気になり、被曝との因果関係が認められれば、障害者手当なども別わくで支給される。

 とはいえ、チェルノブイリ被害対策費の激減は、数字にはっきり表れていた。最も多かった九一年は、国家予算の二〇%に当たる二十八億ドル(約三千三百六十億円)。これに対し十年後の二〇〇一年は、予算全体の六%、約一億五千万ドル(約百八十億円)にすぎない。

 ベラルーシの将来を担う子どもたちの間に、甲状腺がんの増加が見られるなど、「十五年余を経ても健康状態はよくなっていない」と、シェフチュックさんも認める。しかし、厳しい国家財政の下では「これだけ予算を確保するだけでも大変なんだ」と、苦しい台所事情を強調した。 
 


 彼と会った翌日、ミンスクから、道路距離にして南東へ約三百二十キロのゴメリ州モーズリ市を目指した。そこからさらに同方向へ四十キロ、ナローブリャ村で「立ち入り禁止区域」の主任監視委員アレクサンドル・サルコさん(49)に随行してもらい、チェルノブイリ原発から三十〜四十キロ周辺をめぐった。

 「この辺りだけで三十七の村が強制移住させられた。ほら、この村なんか廃屋すら残っていない。あまりにも汚染がひどくて、家屋はすべてブルドーザーで地下に埋められたんだ」とサルコさん。

 キノコや野イチゴ、シカ、川魚…。夏場になると、この近辺は地元民だけでなく、キエフやミンスクから共産党幹部らが保養に訪れて、自然の恵みを享受したという。だが、今なおセシウム137やストロンチウム90などで汚染された大地は、荒れるにまかされていた。

 「私の仕事はこの立ち入り禁止区域へ人がかってに入って、キノコ狩りなどしないように監視することだ。でも生活が苦しいから、監視の目を盗んでそれを採って家族で食べたり、ときには売ったりしている者もいる」。サルコさんは率直にこう打ち明けた。

 彼と別れた後、モーズリにほど近いシジェンニキ村の「子どもリハビリ健康増進センター」を訪ねた。

 三歳から十六歳までの汚染地域に住む二百四十人の子どもたちが、二十四日間ここに滞在。医師十二人、看護婦四十人を含むスタッフ百七十人が子どもたちの世話をする。学校ごとに来るため、引率の先生も滞在。リハビリ治療を受ける子どもたちに勉強も教える。

 「ここに来る子どもたちの七、八〇%は何らかの病気を持っている。さまざまなリハビリを受けることで、病気に対する免疫力を高めるように努めている」。元軍医でセンター長のバレリー・ビンニコフさんさん(48)は、リハビリ棟へ向かいながら言った。

 現在、汚染地域に住む子どもたちは四十万五千人。うち約六〇%の二十五万人が年に一度、各地のサナトリウムへ出かけて、健康増進のための治療を受けているという。

 リハビリ棟では、グループに分かれた子どもたちが治療を受けていた。人の手や温水による全身マッサージ、蒸気による気管支の浄化、プールでのボール遊び、ミネラルを含んだ泥を全身に塗っての保温…。

 気持ちよさそうに治療を受ける子どもたちを見やりながら、ビンニコフさんは言った。

 「治療を受け、栄養も十分取った子どもたちは、随分元気になって帰っていく。ときにはここで甲状腺がんとか白血病の疑いがある子どもが、早期に見つかるケースもあるんだ」。そのときは、精密検査や治療のためにゴメリ市の州立病院などへ送るという。 
 


 モーズリから北東へ約百三十キロ。汚染地域の一部に入る人口約六十五万人のゴメリ市を後日訪ねたおり、州立病院のタチアナ・シュミヒナ小児血液科長(52)に会った。

 「子どもたちの白血病が多くなった九一年に、大人から分離して子どもだけの血液科をつくった。現在三十床あるけど、いつもいっぱいです」。病床の子どもたちに母親のように接するシュミヒナさんは、穏やかに言った。

 彼女によると、州立病院でのゼロ歳から十五歳までの子どもの白血病は事故以前の八五年に四件、八六年十六件、九二年にピークの二十一件を数えた。その後はやや減少傾向にあるという。

 「でも白血病以外に悪性リンパ腫(しゅ)などの血液病が増えており、全体の数としては減っていない。私たち医師にとっての救いは、日本の非政府組織(NGO)など海外からの支援で医療設備や治療技術が向上して、生存率が七〇%近くに上がっていることです」

 自ら乳がん治療を受けながら診療を続けるシュミヒナさん。医師の平均月収は、日本円にして六千円前後。ぎりぎりの暮らしの中で、多くの医師や看護婦は夜勤労働をこなしながら献身的に働いているのが実情である。

 患者家族の生活はもっと苦しくなるという。「特に田舎に住んでいると、町に出る交通費だけでも大きな負担。病院もなくて検診を受けていないケースが多い」と、シュミヒナさんは憂える。

 彼女の心配は、ゴメリ市の州放射線衛生学・疫学センターのウラジミール・ジノビッチ副センター長(48)のそれと重なっていた。同センターでは今も汚染地域に住む住民に「汚染食物を食べないように」と啓発活動に力を入れている。が、必ずしも十分な効果は上がっていないという。

 「結局、貧困のためにやむを得ず汚染された食物を食べる。そのことが体内被曝をもたらし、病気を誘発する主要な原因になっている。しかも、よほど体が悪くならないと病院へ行かない。悪循環なんだ」。ジノビッチさんは悩ましそうに言ったものである。

 チェルノブイリ事故から十五年余。これまで経済支援をしてきた西側諸国は、独裁色を強めるベラルーシのルカシェンコ大統領に反発して支援は低調である。国の援助もままならない中、患者家族が期待するのは日本をはじめとするNGOなどの国際支援である。

 「深刻な被害が続いていながら、政府はその実態を小さく見せることばかり考えている。世界の人びとが額面どおりにそれを受け止めて、私たちに関心を寄せなくなったら…。それを思うとかすかな希望も消えてしまいます」

 ゴメリ市で会った甲状腺障害をもつ親たちの会のリーダー(46)は、こう訴えた。被爆地広島から記者が来るといって集まった母親たち。不安に満ちた彼女たちの表情に、チェルノブイリ原発事故の爪跡(つめあと)の深さが刻まれていた。

文と写真 編集委員・田城明

 
 今回で「旧ソ連編」を終わります。1月27日からは「アメリカ編」を掲載します

チェルノブイリ原発事故




死の灰直撃 荒れる大地

セシウム137によるベラルーシの汚染


Top page放射能用語Back