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ヒロシマ用語集

県立広島工業学校

1年生は192人犠牲に

 県立広島工業学校は、広島市南区出汐にある県立広島工業高の前身です。被爆当時は千田町(現中区)にありました。今の県立図書館がある場所です。

 学校の80年史によると、生徒と教職員計214人が原爆の犠牲(ぎせい)になりました。中でも、1年生192人と引率の教諭(きょうゆ)3人は、爆心地から約600メートル、現在の中区中島町に建物疎開(そかい)の作業に出ていて亡くなりました。後日の現地調査でも、遺体が確認できた生徒は数人にすぎなかったそうです。

 当時の学校の正門脇(わき)に、木製の慰霊塔が建てられました。学校が現在地に移転した後、1962年度に新たに慰霊碑ができました。原爆などで亡くなった生徒たちを鎮魂するための碑です。87年度には、校内に原爆犠牲者の名前を刻んだ追悼(ついとう)碑と、建物疎開の現場近くに「原爆遭難の碑」が新たに建てられました。