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ヒロシマ用語集

旧陸軍被服支廠

頑丈な造り 救護所に

 赤れんがの景観が、約500メートル続く旧陸軍被服支廠(りくぐんひふくししょう)。広島市南区出汐(でしお)2丁目、県立広島工業高の西側と南側に4棟(とう)がL字形に並んでいます。「日本一長いれんがの家並み」といわれています。

 完成は1913年8月。赤れんがが特徴(とくちょう)の東京駅開業(かいぎょう)より1年早くできました。4棟は、鉄筋で強化されたコンクリートの外側に、れんがが張られている頑丈(がんじょう)な構造です。兵隊の服や靴(くつ)、帽子(ぼうし)などを保管する倉庫として使われました。北東側には、服や靴などの製造工場もありました。

 爆心地から約2・7キロ離(はな)れていて、原爆で倒(たお)れたり、火事になったりすることはありませんでした。そのため、被爆(ひばく)直後から臨時救護所になりました。