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ヒロシマ用語集

国民義勇隊

建物疎開や警防担う

 国民義勇隊は、第2次世界大戦の終(お)わり頃(ごろ)、地域や会社ごとにつくられました。主に、火災が燃え広がるのを防ぐため民家をあらかじめ壊(こわ)す「建物疎開(そかい)」や、警防活動などをしていました。12~65歳の男性、12~45歳の女性で組織していました。

 ただ、実際には、中学校や高等女学校の生徒は、学徒動員されて学校、学年ごとに作業しました。また、それより年齢が上の男性は軍隊に召集されていたため、国民義勇隊には40代以上の男性や女性が多くいました。一般(いっぱん)には、「勤労奉(ほう)仕(し)」とも言われていました。

 全国民を働かせる方針は、日中戦争が起きた翌1938年に制定された「国家総動員法」から始まりました。国民義勇隊は、45年3月に「国民義勇隊組織ニ関スル件」として閣議決定されました。

 原爆資料館(広島市中区)の2010年時点での調べによると、1945年8月6日に広島市内に出動していた国民義勇隊は地域、職域を合わせて1万1633人。うち4632人が原爆の犠牲(ぎせい)になりました。