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ヒロシマ用語集

「泉―みたまの前に捧ぐる」

広島初の被爆手記集

 広島初の被爆手記集は1946年8月1日に発行されました。題名は「泉―みたまの前に捧(ささ)ぐる」です。

 広島県立広島第一中学校(現国泰寺高)、県立広島第一高等女学校(現皆実高)の生徒ら39人が、原爆で亡くなった一中の35学級(3年5組)の生徒らを追悼(ついとう)しようと、手記を寄せました。被爆時、3年生だった浜田平太郎さんも編さんメンバーでした。

 2校の生徒は、同じ航空機部品工場に動員されていました。35学級の生徒は、建物疎開(そかい)の作業中などに原爆の犠牲(ぎせい)になりました。

 手記集はB5判、67ページ。わら半紙にガリ版刷りです。「友を失って残念でたまらない」「この事実を全世界は何と見るか」などとつづられています。

 被爆史を研究する元広島女学院大教授の宇吹暁(うぶき・さとる)さんは「追悼の意味合いが強いが、被爆直後から人々に原爆被害を伝えようとする気持ちがあったことが分かる」と話しています。

 実物は原爆資料館(中区)にあり、コピーを閲覧(えつらん)できます。