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ヒロシマ用語集

国民学校

軍国主義教育 進める

 今の小学校に当たる学校は戦時中、「国民学校初等科」と呼ばれていました。1941年の「国民学校令」で制度が変更(へんこう)されました。尋常(じんじょう)小学校(6年間)は国民学校初等科(同)に、高等小学校(2、3年間)は国民学校高等科(2年間)になりました。

 国民学校令は、軍国主義教育の色合いが濃(こ)いものでした。尋常小学校と国民学校初等科の両方に通った、広島市西区の男性は「国民学校になると、『帝国(ていこく)陸海軍、日本の兵隊さんは戦場へ出て行き、お国のために死んで帰ります。身をささげます』と習うようになった」と証言します。

 子どもたちは、国民学校初等科で6年間学んだ後、国民学校高等科や中等学校(中学校、高等女学校、実業学校)などに進みましたが、進学できる人は限られました。

 終戦後、47年に教育基本法、学校教育法ができて、今の小学校(6年間)、中学校(3年間)になりました。