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ヒロシマ用語集

己斐国民学校

 己斐国民学校(現己斐小、広島市西区)は、原爆が落とされた直後から救護所となり、負傷(ふしょう)者でいっぱいになりました。その中には、市中心部で建物疎開(そかい)の作業中に被爆し、逃(に)げてきた少年、少女も多くいました。

 その日の学校の様子について、被爆者が記した手記があります。「床(ゆか)には全身やけどでただれ、皮膚(ひふ)がはげおちた被災(ひさい)者が横になり、足の踏(ふ)み場もなかった」。当時の惨状(さんじょう)が読み取れます。

 校庭には溝(みぞ)が掘(ほ)られ、多くの遺体(いたい)が焼かれました。1949年に、約2千体の遺骨(いこつ)が発掘(はっくつ)されました。

 同校では2010年夏、被爆当時に在籍(ざいせき)していた元児童が、慰霊(いれい)モニュメントを建てました。