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ヒロシマ用語集

宇品港

兵士や物資送り出す

 広島市南部にあった宇品港は1884年、当時の広島県令(知事)、千田貞暁(さだあき)氏(1836~1908年)が建設を始めました。「広島の発展(はってん)のために良い港を造らなければならない」と考えたからです。

 カキやノリが採れなくなるといった住民の反対や、暴風で堤防(ていぼう)が壊(こわ)れるなどの困難(こんなん)がありましたが、1889年に完成しました。途中で建設資金が足りなくなり、千田氏が私財(しざい)を出したとも言われています。

 幾つもの戦争で、重要な役割(やくわり)を果たしました。94年8月、日清戦争が始まり、兵士や物資を戦地へ送り出す港として使われました。同月、広島駅まで結ぶ宇品線(1986年廃止(はいし))が、わずか17日間で建設されました。その後、日露戦争や第2次世界大戦でも、この港から多くの兵士が戦地へ向かいました。

 32年には、広島港に名称変更(めいしょうへんこう)されました。被爆直後は、けが人を似島(現南区)の臨時(りんじ)収容所などに運び出しました。

 今の旅客ターミナルは、以前より西にあります。