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ヒロシマ用語集

神崎国民学校

爆風で校舎倒れ炎上

 爆心地から南西に約1・2キロの地点にあった神崎(かんざき)国民学校(現神崎小)は、児童140人、教職員8人が原爆で亡くなりました。

 当時、1860人が学校に在籍(ざいせき)。うち1440人が疎開(そかい)していました。420人は自宅にいて、学校や近くの寺に分かれて登校していました。

 原爆投下とともに、木造2階建ての校舎は爆風(ばくふう)で倒(たお)れるとともに火に包まれました。既(すで)に登校していた約25人の児童は、校舎の下敷(したじ)きになって亡くなったようです。漫画(まんが)家の故中沢啓治さんは、同校1年生で、学校の西側にあった裏門を入る直前に被爆し、コンクリートの塀(へい)が陰(かげ)になって助かりました。

 疎開中の児童は助かりました。しかし、身内が原爆で亡くなり、孤児(こじ)になった子どももいました。

 戦後、校舎がなくなったため本川、舟入両国民学校で授業を再開しました。1950年4月に神崎小として再発足。同年9月に、戦前より北東に100メートルほど移動した今の場所に新校舎が完成しました。