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ヒロシマ用語集

広島貯金支局

避難女性が無事出産

 広島貯金支局は、爆心地から約1・6キロの広島市千田町(現中区)にありました。鉄筋(てっきん)地上4階、地下1階建て。1937年に完成しました。

 広島原爆戦災誌(し)によると、原爆で窓(まど)ガラスや書棚(しょだな)、机(つくえ)、椅子(いす)などが吹(ふ)き飛(と)ばされ、多くの人が死傷(ししょう)しました。エレベーターは壊(こわ)れ、みんなが慌(あわ)てて下りた階段(かいだん)の手すりや壁(かべ)は血で真っ赤になったそうです。

 業務を引き継いだ旧中国郵政(ゆうせい)局が被爆50年の時にまとめた資料によると、福屋百貨店(現中区)にあった分室も含(ふく)め、死者90人の名前が確認(かくにん)できます。

 被爆直後、地下室は避難(ひなん)場所になりました。避難してきた女性が、助産師の助けで無事に赤ちゃんを出産しました。この逸話(いつわ)を伝え聞いた広島市出身の詩人栗原貞子(くりはら・さだこ)さん(1913~2005年)が、原爆詩「生ましめんかな」を創作(そうさく)しました。

 建物は、被爆後も補修(ほしゅう)を重ねて使われていましたが、89年3月、解体されました。