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ヒロシマ用語集

己斐駅

駅舎の大部分が倒壊

 戦時中、広島市西区のJR西広島駅は己斐駅、広電西広島は西広島駅や己斐と呼ばれていました。いずれも爆心地から2・4キロあたりにありました。

 広島原爆戦災誌によると、原爆による爆風(ばくふう)で、国鉄(当時)の己斐駅の駅舎は大部分が倒壊(とうかい)。事務室にいた駅員20~30人は倒(たお)れた建物から線路にはい出しました。火災も、被爆後に大量に降った黒い雨のため最小限に食い止められました。客は、午前8時前の上りと下りの列車が出たすぐ後だったので少なかったそうです。

 被爆後は、数千人が市の中心部から逃げて来ました。駅周辺で息絶えた人も多くいたため、駅近くにあった防空壕(ぼうくうごう)に枕木(まくらぎ)を入れて焼きました。

 国鉄の山陽線は8日に復旧。広電の宮島線は、6日は西広島駅―草津駅間が不通となり、草津駅―宮島駅間の運行でしたが、7日に復旧し、多くの被爆者を運びました。市内線は9日に己斐―西天満(現天満町)間で運転を再開しました。