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[インサイド] 幅広い救済 こだわる 広島市と県、国から「言質」

「科学的根拠」に障壁も

 原爆投下後に降った放射性物質を含む「黒い雨」被害に国の援護対象区域外で遭った広島県内の原告全84人を被爆者と認めた広島地裁判決で、被告の広島市と県は区域拡大の糸口となる国の「言質」を取った上で、12日に広島高裁へ控訴した。「拡大も視野に入れた再検討」という文言を引き出し、被害者を広く救済する姿勢にこだわった。交渉の舞台裏をみた。(久保田剛、岡田浩平、河野揚)

 「当初、国は地域拡大について事実上、ゼロ回答だった」「どうにか国が譲歩した」。市や県の関係者たちは、判決が出て以来続いてきた政府を含む3者の協議を振り返り、ひとまず胸をなで下ろした。

 「判決は国のルールを全面否定した。普通なら控訴する」。7月29日の判決直後、ある関係者は明言していた。

 市と県は翌30日に控訴見送りを求めたが、厚生労働省は「控訴ありき」の姿勢だったという。今月6日の原爆の日、市の平和記念式典で安倍晋三首相(山口4区)が電撃的に控訴断念を表明するのではないかとの淡い期待もあったが、あっさりと裏切られた。

直談判で変化

 潮目が変わったのは、式典後、松井一実市長と湯崎英彦知事、加藤勝信厚労相(岡山5区)による中区のホテルでの会談だ。市と県は被害者救済に向けた「政治判断」を直談判し、落としどころを探る3者の協議が本格化した。それでも政府は当初、区域拡大に向けた方向性を示さなかった。

 市、県の担当者たちは「控訴したくない」というトップの姿勢を背景に、電子メールや電話で厚労省と協議を続けた。たどり着いたのが「『黒い雨地域』の拡大も視野に入れた再検討をする」との文言。11日に松井市長がインターネットで、湯崎知事が電話でそれぞれ加藤厚労相と協議してその方針を確認し、控訴を受け入れると決めた。

 市も県も、独自の判断で控訴を見送る選択肢が可能かどうか、探りはした。複数の関係者によると、手帳交付の実務は国の法定受託事務とはいえ、その余地はあるとみていたという。

 その場合、今回の原告は救えても、他の黒い雨被害者の援護につながらない。幅広い救済のためには、対象区域をはじめとする現行基準を改める必要がある。その現実が、区域拡大の検討と合わせて控訴に転じるとの判断につながった。

 ただ、区域拡大に向けた具体的な道筋は見えていない。厚労省の担当者は、加藤厚労相が方針を発表した直後に早速、「被爆者援護は放射線起因性を重視しているが、今回の対象は隔たりが相当大きい」と慎重な姿勢を明かした。蓄積したデータを人工知能(AI)で検証する手法などを想定しているというが、「どのデータかはお答えできない」とにべもなかった。

過去は見送り

 市や県は2010年、援護区域を現行の約6倍へ広げるよう政府へ要望した。被爆者や黒い雨体験者たち約3万7千人を対象にしたアンケートを08年に実施。対象区域外の体験者は心身の健康面が被爆者に匹敵するほど不良だと訴えた。

 厚労省は「科学的に検証する」との立場で、放射線医学や精神科の専門家でつくる検討会を設置した。その結果、「原爆放射線による健康影響の根拠を見いだせない」という否定的な見解を12年7月に得て、区域拡大を見送った。

 被爆75年を迎えた今、被害者たちが浴びた黒い雨と健康被害との因果関係を、政府が言う「科学的・合理的根拠」に基づいて新たに立証するのは困難との見方は強い。「最新の科学技術を用いて可能な限りの検証をする」。政府が今回の方針に潜ませたこの一文が再び、区域拡大の障壁となる可能性は否定できない。

 湯崎知事は「国も被爆者救済にかじを切ったという決断ではないかと受け止め、期待している」。松井市長は「科学技術に頼るのではなく、政治判断してほしい」と説いた。国はもちろん、控訴を受け入れた市、県の責任が増したのは間違いない。

(2020年8月13日朝刊掲載)

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