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「黒い雨」控訴 失望・怒り 原告「まだ闘えというのか」

 「まだ闘い続けろというのか」―。原爆投下後の「黒い雨」を巡る訴訟で国と広島市、広島県が控訴した12日、原告と弁護団は失望と怒りの声を上げた。原爆投下から75年。老いを深める原告たちは、再び法廷闘争に臨まざるを得ない事態に不安を募らせた。(松本輝)

 「黒い雨を浴びた被爆者の苦難に満ちた人生、援護対象区域の拡大を切望しつつ亡くなった多くの人の思いを踏みにじるものだ」。原告団の高野正明団長(82)は、広島市中区で開いた記者会見で語気を強めた。2週間前、広島地裁の全面勝訴判決の歓喜から一転、落胆の表情を浮かべた。

 地裁判決は、国の援護対象区域「大雨地域」の線引きの妥当性を明確に否定。より広範囲に黒い雨が降ったと認め、健康被害を訴える原告84人全員が被爆者に当たると判断した。

 「(地裁判決は)十分な科学的知見に基づいたとはいえない」とした控訴理由に弁護団は批判を強めた。「国は放射線が人体に与えた影響について地裁の審理でほとんど主張や立証をしてこなかった。今になって言い出すのはおかしい」。弁護団の1人、竹森雅泰弁護士はそう指摘した。

 市と県はこの2週間、控訴に消極的な姿勢を示してきた。被爆者健康手帳の交付事務を担うため被告の立場だが、長年、国に区域拡大を求めていた。国との協議で、援護対象区域の拡大も視野に検討するとの回答を得たことが控訴に同意する決め手になったという。

 しかし、竹森弁護士は「原告の救済と区域の再検討は両立できる。国は区域拡大という言葉で市と県をなだめたのではないか」と批判した。

 原告に残された時間は多くはない。「本当に残念」。原告の中津サワコさん(82)は、広島県安芸太田町の自宅で控訴の知らせを聞き、深いため息をついた。

 爆心地から約20キロの安野村(現同町)で黒い雨を浴び、原告だった夫昭士さんは2018年5月、心筋梗塞のため81歳で亡くなった。同じく黒い雨を浴びていたサワコさんは夫の遺志を継いで同年9月、3次提訴で原告に名を連ねた。「お父さんの分も、もう少し頑張らなきゃ」と自らを奮い立たせた。

 原告たちが「被爆者」か否かの判断は今後、広島高裁で審理される。15年11月の提訴後、原告16人がこの世を去った。高野団長は力を込めた。「高裁での裁判はまた時間がかかるだろう。しんどい闘いになるが、全ての黒い雨被爆者が救済されるよう最後までやり抜く」

(2020年8月13日朝刊掲載)

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