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疎開時の記憶 同級生と回顧 入市被爆した広島の川本さん 伝承者に語る

 原爆で家族を失った広島市西区の川本省三さん(86)が、戦時中に学童疎開していた善徳寺(三次市廻神町)を訪ね、当時通った神杉国民学校(現神杉小)で机を並べた同級生の藤川寿雄さん(87)=同市三良坂町長田=と再会した。入市被爆した川本さんの記憶を語り伝える広島市の被爆体験伝承者10人も同席し、戦況が悪化するばかりだった75年前の記憶をたどった。(石川昌義)

 袋町国民学校(現袋町小、広島市中区)の6年生だった川本さんは1945年4月、四十数人の男子児童と一緒に善徳寺へ疎開した。三次市が戦後75年を機に募集した平和メッセージで、疎開児童との交流をつづった藤川さんに、善徳寺の長谷川憲章住職(51)が声を掛け、対面が実現した。

 「神杉の子どもは優しかった。腹が減って仕方がない毎日だったが、食べ物を分けてもらった」と川本さん。藤川さんは「とにかく食べ物がなかった。開墾に山菜採り。よくやったな」と応じた。軍用機の燃料になるとされた松ヤニの採取や軍事教練…。思い出話は尽きない。

 「本堂の雰囲気は」「どんな遊びをしていたんですか」。川本さんの記憶を継承する伝承者の質問にも2人で応じた。2018年から伝承者研修を受講する広島市東区の英語講師山口純子さん(55)は「子どもたちの温かい触れ合いの様子が伝わった」と感謝する。

 原爆資料館(中区)のピースボランティアでもある川本さんは十数年前から毎年、疎開中に同級生と寝食を共にした善徳寺の本堂で、地元の子どもたちに往時の記憶を伝えている。

 「この寺で感謝の心を教えてもらった。家族や友達を大切にしてほしい」と語り掛ける川本さん。その姿を見守った藤川さんは「戦争体験を伝え続ける使命感は本当に立派だ」とたたえた。

(2020年9月19日朝刊掲載)

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