×

ニュース

大田洋子の碑 再設置へ サッカー場計画の中央公園広場

 広島市は、中区基町の中央公園広場に新たなサッカースタジアムを建設するのに伴い、被爆作家として知られる大田洋子(1903―63年)の文学碑などのモニュメント4基を移設し、広場内に再設置する。建立の背景や設置者の意向を踏まえ、設置場所を決める。(新山創)

 市によると、広場には13基のモニュメントがある。11基は61~2008年に企業や民間団体が寄贈し、2基は市が建てた。うち4基が、24年中の開業を目指してスタジアムを建設する広場西側にある。

 移設する4基は、被爆体験を基にした小説「屍(しかばね)の街」で知られる大田洋子の文学碑▽民間団体が建てた石像「針のめぐみ」▽広島県緑化推進委員会の「緑の羽根の碑」▽広島青年会議所が設置した子どもの手形プレート。

 このうち大田洋子の文学碑は、原爆詩人の栗原貞子(1913―2005年)たちによる運動で78年に建立され、画家の故四国五郎がデザイン。大小15個の自然石を並べ、1個には「屍の街」の一節を刻む。公園西側に建てられ、90年に約80メートル北に移設した。

 建立委員会メンバーだった岩崎清一郎さん(89)=東区=は「大田の功績を後世に伝えるため、大勢が見られる場所に置いてほしい」と話す。

 さらに、8月末には市民団体「広島文学資料保全の会」(中区)が、大田作品の舞台となった「原爆スラム」に近い公園西側での移設を市に要望した。市は「できる限り要望に沿う」としている。

 残る9基のうち7基は広場東側にある。市は、広場東側を「広場エリア」として、飲食や物販施設など年間を通じて人が集う場所にする計画で、モニュメントを移設するかどうかは未定だ。また、広場南西にある中国庭園「渝華園(ゆかえん)」は、スタジアムの設計次第で現地に残る可能性がある。

 一方、市は、埋蔵文化財の発掘調査に伴い広場内の樹木約100本の伐採を8月に始めている。樹木は約1300本あり、地元ライオンズクラブや企業など計25団体が戦後、市に贈った。市は移植の希望や伐採の許可を問い合わせながら作業を進めている。

 広場を散歩で訪れる恵美勇作さん(77)=広島県熊野町=はモニュメントや樹木の行方を気に掛けてきた。「碑も樹木も憩いの場の一部として親しまれてきた。寄贈者の思いや歴史に十分に配慮してほしい」と話している。

(2020年9月24日朝刊掲載)

年別アーカイブ