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遺品 無言の証人

[無言の証人] 形見のベルト

父子のぬくもり残す

 文様の入った銀色のバックル。革バンドの一部は熱線のせいか変色している。旧制広島市立中(現基町高)2年の中村孝夫さん=当時(14)=が着けていたベルトは、太平洋戦争末期の激戦地、硫黄島で戦死した父幸夫さんの形見だった。

 幸夫さんは1944年6月に召集された。横浜に住んでいた身重の母マサコさんは、孝夫さんと妹の美代子さんを連れて古里の可部町(現安佐北区)に疎開。その後、硫黄島は米軍の猛攻撃で陥落した。

 大黒柱を失った一家で、長男だった孝夫さんは家事をよく手伝っていたという。8月6日のあの日、父親のお下がりで作った作業着と革ベルトを着けて、小網町(現中区)の建物疎開作業に出掛けた。

 翌日、孝夫さんを捜しにマサコさんは市中心部へ向かう。横たわる遺体の顔を1人ずつ確認したが見つからなかった。新庄町(現西区)の竹やぶで、誰かから孝夫さんが夜中にそこで亡くなって近くの神社に運ばれたと知らされる。

 急いで向かうと、火葬を待つ遺体が、見覚えのある革ベルトを身に着けていた。まぶたが、えぐられたようにそがれていた。手を取ると、皮膚が剝がれ爪も抜け落ちたという。

 ベルトは夫と息子の生きた証し。マサコさんは「皮膚のぬくもりが残っている気がする」と75年に原爆資料館へ寄贈するまで大切にしていた。(新山京子)

(2021年7月13日朝刊掲載)

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