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ゲバラ取材の記録出版 1959年7月 広島訪問 元本紙記者の遺族がまとめ

 キューバ革命直後に広島市を訪れたチェ・ゲバラを唯一取材した元中国新聞記者、故林立雄さんの記録をまとめた「ヒロシマのグウエーラ―被爆地と二人のキューバ革命家―」(渓水社)が出版された。被爆の惨状を知ったゲバラが「こんなひどい目に遭っても怒らないのか」と日本人への疑問を口にしたことなどが記されている。(清水大慈)

 林さんは1959年7月、ゲバラが平和記念公園で慰霊碑への献花と原爆資料館見学をした後、県知事と会談した様子を記者としてただ一人取材した。2012年に79歳で亡くなる前、取材メモなどをまとめて出版しようと計画しており、未完の原稿を残していた。それらを東京都内に住む長女の相原かおりさん(53)が整理、加筆して本に仕上げた。

 「グウエーラ」はゲバラを指す。外務省が誤った発音を県庁に伝えていたと林さんが書き残しており、本のタイトルに使った。革命の英雄がまだ無名に近かったことを示すエピソードで、ゲバラの肩書が少佐だったため、政権ナンバー2であることに県職員や記者たちが気付かなかった、とも林さんは述懐している。

 親米政権を打倒した革命の主要メンバーだったゲバラ。林さんの記録によると、資料館を見学した後、原爆を投下した米国に日本人は「怒らないのか」と、案内役の県職員に尋ねた。また、慰霊碑の碑文「過ちは繰返しませぬから」に主語がないことに疑問を呈していたという。

 林さんは「アメリカの核政策に(日本やキューバが)怒ろう、という思いの発露だっただろう」との分析を書きとどめている。03年に初めて広島を訪れ、先月90歳で死去したフィデル・カストロ前国家評議会議長の核兵器を巡る発言も考察し、ゲバラと比較もしている。

 相原さんは「父はゲバラをプロローグ、カストロをエピローグとして反核運動全般の変遷を振り返る本を構想していた。残っていた原稿だけでも後世に残したかった」と話している。

 林さんは中国新聞退社後、安田女子短大教授などを務めた。本は四六判、239ページ。1944円。中国新聞のカメラマンが、慰霊碑に献花するゲバラを撮影した写真も収録している。

(2016年12月21日朝刊掲載)

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