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真珠湾に願う平和 ハワイ日系2世・上田さん 首相訪問「日米にプラス」

開戦で財産没収 連行の父被爆

 日本の米ハワイ・真珠湾攻撃は、現地に住む日系人の運命を変えた。来年100歳となるホノルル市の上田一枝さんは、両親が広島から移民した日系2世。父は開戦後に収容所に送られ、日米の抑留者を交換する船でたどり着いた広島で原爆に遭った。一家は財産も没収された。家族の幸せが守られる世であってほしい―。願いを胸に、安倍晋三首相の真珠湾訪問を待つ。(ホノルル発 田中美千子)

 クリスマスツリーに彩られた郊外の自宅。「とてもいいことです」。今回の首相訪問について尋ねると、流ちょうな日本語が返ってきた。「日米のさらにいい関係が続いてほしい。政府のけんかで苦しむのは普通の人たちですものね」

 1941年12月7日(日本時間8日)。上田さんは父が営む店で働いていた。クリスマスに備え、玩具などの準備をしていたら周囲が騒がしくなった。早朝、日本軍機の一群を見た近所の人は不安を口にしていた。「店では『予行演習だよ』なんて言ってたの。でもその日のうちに父が引っ張られてしまって」。目の前で2人の男に連行された父とは会えなくなった。

 己斐地区(現広島市西区)出身の父は中学を出て渡米し、大工道具や雑貨の販売に精を出した。店は朝7時から夜12時まで営むことも。その蓄えは子どもの教育にも注いだ。上田さんは32年に日本へ渡り広島女学院へ。そして帰国し、家業を手伝った。

 「日系人は懸命に働いたけど財産を全部取られたんです」と上田さん。父と引き裂かれた時、母は他界していた。店は上田さんが弟妹3人と守ろうとしたが、没収された。「『敵国人』だから仕方ない。ハワイはまだ幸せな方でした」。老若男女を問わず強制連行された本土と違い、対象者が大きい店の経営者や教員たちにとどまったからだという。

 上田さんは43年に結婚。父は晴れ姿を見ないまま、交換船で自身の母がいる己斐へ戻った。米国が原爆を投下した45年8月6日も自宅にいた。「奥まった場所だったので、けがはなかったみたい」。苦境を思い、上田さんは戦後、小包を送り続けた。「日系の家はどこも送っていた。砂糖が喜ばれてね」。己斐を訪ね、父と再会したのは57年。実に16年ぶりだった。

 夫に先立たれた今、上田さんは長女や孫と暮らす。正月は親族でおせちを囲むという。「この平穏な毎日が続いてほしい」。戦争が何をもたらすか、身をもって知るからこそ思いは強い。「日本はロシアや中国とも問題を抱えているんでしょう。大ごとにならないでほしい」。もう一つの古里に思いを寄せている。

(2016年12月25日朝刊掲載)

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