×

ニュース

首相真珠湾訪問前に資料館の川崎さん 犠牲者慰霊 友好深めて ハワイ移民 知る契機に

 移民の歴史に目を向けるきっかけに―。安倍晋三首相の米ハワイ・真珠湾訪問を前に、広島市南区仁保のハワイ移民資料館「仁保島村」館長で、移民だった父親を持つ川崎寿(ひろし)さん(73)が期待を寄せる。広島県は多くの住民をハワイに送った「移民県」。ただ真珠湾攻撃で始まった戦争では、日系移民2世たちが米兵となり、親の祖国と戦った歴史もある。「苦難を知り、犠牲者を慰霊することが友好につながる」と願う。(長久豪佑)

 川崎さんの父は仁保地区から1900年代初頭にハワイへ移り、サトウキビ栽培に従事。永住した親族もいたが、父は41年の真珠湾攻撃を前に帰国し、仁保に戻った。日本生まれの川崎さんにはハワイで暮らした経験はないが、父や親族が苦労した移民の歴史を伝えたいとの思いから、約20年前に移民の調査を始めた。自宅の蔵を改修し96年に開いた資料館には、明治時代のパスポートや、戦前のハワイの写真パネルなど収集した資料を展示している。

 広島とハワイの結びつきは深い。1885年に始まった明治政府主導の「官約移民」で、県からは国内最多の約1万1千人が渡航した。田畑が狭い仁保も移民が多い地域だった。

 1930年ごろには、ハワイの人口の約4割を日系人が占めていたという。川崎さんの調査では、開戦後に米軍の捕虜になり、戦後に日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)に通訳などとして雇われ、日本の地を踏んだ人もいた。

 「母国による攻撃は衝撃だったはず。日本との断絶が決定的になり、つらかっただろう」。ハワイでの日系人の苦難を知るだけに、安倍首相が真珠湾を訪れて戦争犠牲者を慰霊するとのニュースを聞き、「率直にうれしかった」と話す。

 移民の調査を始めたころ、真珠湾で旧日本軍に撃沈された戦艦の上に立つアリゾナ記念館を訪れたことがある。居合わせた米国人たちから冷たい視線を感じたが、花で作った首輪(レイ)を慰霊碑に手向けるとウインクされるなど心が通じたように感じたという。

 26、27の両日に予定される安倍首相のハワイ訪問が近づく。「人間として慰霊の気持ちを示してほしい。多くの日本人が移民や戦争の歴史に目を向け、真珠湾を来訪する契機になってくれれば」

(2016年12月25日朝刊掲載)

年別アーカイブ