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首相ハワイ訪問 過ち悟り 真の反省を 弟が原爆死 ハワイ日系2世・岩竹さん

真珠湾攻撃「開戦…無謀なことを」

 「先の大戦は間違いだった」。日米両国で軍隊経験のあるハワイ生まれの日系2世、岩竹稔さん(92)は力を込める。海を渡り、日本で教育を受けていた1941年に日米が開戦し、徴兵された。母国と敵対した末、弟は原爆死。帰国後は日系人が故に差別され、米軍兵に志願した―。日本時間の28日、開戦の地、真珠湾に立つ両首脳の言葉に耳を傾ける。 (ホノルル発 田中美千子)

 「東の雲と書いて『しののめ』。そこに住んでいた。懐かしいです」。マウイ島の老人ホームで、広島の記憶を尋ねると顔をほころばせた。6人きょうだいの次男。マウイに移民した父親が海の事故で他界した40年、親戚を頼り東雲地区(現広島市南区)へ移った。

 良い思い出ばかりではない。軍国主義教育に反発を覚えた。真珠湾攻撃を知った時も「無謀なことを、と。米国の力を知っていましたから」。しかし明治大に進んだ44年、徴兵で満州(現中国東北部)に送られた。所属した国境の守備部隊は「ほぼ全滅」。川を泳いで朝鮮に入り山中を南下。やっとの思いで日本に帰ったのは、終戦後の冬だった。

 県立広島第一中学校(現国泰寺高)1年の弟孝さん=当時(13)=は原爆で亡くなっていた。遺骨は現中区の校舎跡から見つかった。「米国も過ちを犯した。なぜ人民を殺したか、と言いたい」

 戦後、一家は別々の道を歩む。稔さんと同じく日本兵として徴兵された兄信明さん(2012年に88歳で死去)は日本に残り、在日米大使館員に。稔さんと生き残った弟2人は米国へ戻った。「親の古里にも尊敬はあるが、私はやはり米国人。デモクラシー(民主主義)が大事なんです」

 だが、ハワイでは日系人への差別を肌で感じた。米軍に入隊したのは、国への忠誠心から。朝鮮戦争のさなか、前線行きを志願したが、軍からは日本語の指導役を命じられた。休戦後に除隊し、米海軍で軍属として勤め上げた。

 ことし5月、オバマ米大統領が広島を訪れた際の行事には、信明さんの妻子が招かれた。岩竹さんは、今回の両首脳の行き来を歓迎する。アジアを巡る安全保障の観点から「日本は米国ともっと協力しないといけない」。一方で被爆者の遺族としての思いも。「原爆の灰が何十年後に影響することもある。頭の痛い問題だが、核兵器はない方がいい」。弟にちなみ、自らの長男は「ブライアン・タカシ」と名付けた。

 幾多の苦難を乗り越えた今、日本には真の反省を期待する。「首相は過去の過ちを悟り、良い世界をつくると誓ってほしい」。両国のはざまで揺れた日系人として、心から願う。

(2016年12月28日朝刊掲載)

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