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地域の被爆史 伝える場に 爆心地から600メートルの浄国寺 境内工事で慰霊碑修復

 爆心地から約600メートル、原爆で壊滅した広島市中区土橋町の浄国寺が、地域の被爆史を広く伝えていくための境内の工事を今月、終えた。近くの犠牲者らを弔ってきた慰霊碑の修復などで、平和学習にも利用しやすくなる。被爆死した住職のひ孫にあたる、副住職の藤田光信さん(27)が提案した。(山本祐司)

 浄国寺は浄土宗の歴史ある寺で、原爆で全焼して当時の住職は建物の下敷きとなって亡くなった。被爆死した周辺の住民たちは境内で火葬され、1947年8月に木柱の二つの碑が寺の中に建立された。

 旧町名を刻んだ「西地方・西新町町民慰霊碑」がその一つ。歳月とともに朽ちたために70年ごろ高さ約50センチの石碑に代わった。もう一つの「広島県防空機動隊員慰霊碑」は空襲警報時に動員され、伝令を持って回った住民の犠牲を悼む。こちらは当初の碑が残るが文字は消え、傾いていた。2006年に寺は火事に見舞われるが、焼失は免れた。

 光信さんは原爆被害を知ろうと寺を訪れる人のことを考え、父で住職の明信さん(75)らに相談し、語り継ぐための工事をことしから進めていた。二つの碑を建て直して名前を刻んだ石も据え、離れたところにあった被爆した地蔵もそばに移した。さらに説明板も添えることを検討している。

 浄国寺の境内は戦後の区画整理で往時の半分になった。ただ身元の分からない原爆犠牲者の遺骨を今も守っている。戦後、合同墓で供養してきたが今回、永代供養墓を築き、こうした遺骨も納めることにした。26日に開眼式を営む。

 「被爆70年以上たっても被爆の事実を子どもたちに伝え続け、住民の祈りの場としても貢献したい」と、若き副住職は話す。

 原爆犠牲者の慰霊碑は造った被爆者らが亡くなり、次世代へ託される。広島の戦後史に詳しい元広島女学院大教授の宇吹暁さん(71)は「時代の流れで世代が変わるとはいえ、祈りが基本にあるのは変わらない。継承に向けた一つの動きになるのでは」と言う。

(2017年12月25日朝刊掲載)

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