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北西方で物凄い青黄色の光 旧制呉三中卒業生の深水さん 「原爆日記」のコピー残す

 呉市の旧制呉三中(現広高)卒業生の深水道敬さん(89)=東京都世田谷区=が、広島に原爆が投下された1945年8月当時の日記のコピーを残している。呉で見た混乱ぶりや、広島県坂町に逃げてきた被災者の様子を生々しくつづっている。

 15歳だった深水さんはあの日、呉市広にあった第11海軍航空廠(しょう)に学徒動員されていた。日記で「(午前)8時頃、突然北西方で、パッと物凄(ものすご)い青黄色の光」が見えたと記す。

 空襲で呉市中心部にあった深水さんの自宅が全焼していたため、その日は避難先の坂町小屋浦の知人宅に帰宅。近所の人や工場仲間たちは「殺人光線」「空中爆弾」「ロケット爆弾」とうわさしていた。5日ほどたつと避難先近くの収容所に死者やけが人が次々と運び込まれ「痛いよう、暑いよう」という声が一晩中聞こえたという。

 深水さんは札幌市生まれ。医師だった父の都合で1940年から7年間広島県内に住んだ。日記は子どもの頃からの習慣だった。京都大を卒業後、NHKに入り原爆平和番組の制作に携わったこともある。「日記から核兵器の悲惨さが伝わり、核兵器廃絶に少しでも役立てば」と話している。(河野揚)

(2019年12月10日朝刊掲載)

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