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被服支廠「全棟保存を」 広島市長、県に要望 姿勢の違い鮮明

 広島県が「2棟解体、1棟保存」の原案を示した広島市内最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(南区)を巡り、広島市の松井一実市長は18日の記者会見で、県に対して所有する3棟全棟の保存を求める意見を伝えたと明らかにした。「失えば二度と取り戻せない」と被爆建物を後世に残す意義を強調し、県との姿勢の違いが鮮明となった。(明知隼二、樋口浩二)

 松井市長は、被爆建物は「被爆の歴史的な事実、原爆被害の悲惨さを伝える『もの言わぬ証人』だ」とし、全棟保存すれば「被爆の実相を伝えるスケールが大きくなる」と説明した。県には「安全対策や財源措置の必要性も理解する」と課題が多いとの認識も踏まえた上で「できる限り全棟を保存してほしいと伝えた」と述べた。

 一方、市が所有する被爆建物は市の財源と国の補助で保存してきたとして、県所有の被服支廠に関する市の財政負担については「まずは県の取り組みを基本に、市としてどんな協力ができるかという考え方だ」と現時点で否定した。県が募金などの資金集めをする場合は、協力するとした。

 県は今月4日の県議会総務委員会で、県が所有する3棟のうち、爆心地に最も近い1号棟の外観を保存し、2、3号棟を解体・撤去する原案を提示した。17日から来年1月16日まで県民の意見を募っている。

 県財産管理課の足立太輝課長は「広島市からは国も交えた協議の中で『3棟保存を求める』という意見を既に聞いている。県民意見の募集の結果なども踏まえて、最終的な方向性を示したい」としている。来年2月に方向性を定める。

 県に対しては、市民団体「旧被服支廠の保全を願う懇談会」が全棟の保存を要望。ほかにも別の市民グループがインターネットで集めた署名約1万2千筆を届けるなど、保存を求める動きが広がっている。

 被服支廠は米国による原爆投下後、臨時の救護所となり、多くの被爆者が運び込まれた。戦後は広島高等師範学校(現広島大教育学部)の校舎や、民間企業の倉庫などにも使われた。

旧陸軍被服支廠(ししょう)
 旧陸軍の軍服や軍靴を製造していた施設。1913年完成で、爆心地の南東2・7キロにある。13棟あった倉庫のうち4棟がL字形に残り、県が1~3号棟、国が4号棟を所有する。4棟は鉄筋コンクリート・れんが造の3階建てで、1~3号棟はいずれも延べ5578平方メートル、4号棟は延べ4985平方メートル。

(2019年12月19日朝刊掲載)

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