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80年前の日常 輝く笑顔 現在の幟町小 東区の女性 写真保管

 80年前に撮影された幟町尋常高等小学校(現在の幟町小、広島市中区)の写真の複写を、同校に通っていた広島市東区の山之上弘子さん(87)が保管している。日本が日中戦争から太平洋戦争へと突き進む中、まだ子どもたちの笑顔があった当時の日常を伝える。

 写真には、校庭で女性教員と輪になって遊ぶ山之上さんの同級生たちが写る。山之上さんは当時7歳。写真は1940年3月、上流川町(現中区胡町)に社屋があった中国新聞社の従業員が撮り、教員が受け取ったという。山之上さんは30年ほど前、存命だった教員から借りて複写した。

 被爆死した同級生の家族にも複写を贈った。南区の村上貞子さん(77)。写真に写る教員の右側でレンズに顔を向けている村上文子さんの義妹だ。文子さんはこの5年後、県立広島第一高等女学校(現皆実高)1年生になり、建物疎開中に原爆に遭った。

 山之上さんは「この写真を撮った後は、学校もお遊戯どころではなくなった。文子さんたちと一緒に校庭で豚の世話をした」と振り返る。貞子さんは「先生にもかわいがられていたんでしょう」と会ったことのない義姉をしのぶ。

 原爆資料館(中区)学芸課は「戦時下ながら子どもらしい笑顔が見られ、戦争や原爆が奪った日常の尊さを伝える1枚」とする。

 山之上さんは「若い人に写真を見てほしい」と中国新聞社に情報を寄せた。「この写真から戦争のむごさを感じ取ってほしい」と願う。(奥田美奈子)

(2020年4月9日朝刊掲載)

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