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敵視避け戦争協力 自らの過ち検証 広島流川教会、戦前の週報公開

礼拝で国旗と君が代 前線の武運長久祈る

 広島流川教会(広島市中区上幟町)で、太平洋戦争中の1943年1~11月に発行された週報32枚が見つかった。日曜礼拝で配布された文書で、関係者が疎開先に持参するなどして焼失を免れた。軍の圧力を背景に、キリスト教会が進んで戦争に協力した様子が読み取れる。(桑島美帆)

 「日本基督(キリスト)敎團廣島(きょうだんひろしま)流川敎會禮拝(きょうかいれいはい)の栞(しおり)」で、B5判1枚に礼拝のプログラムや信者の消息などが記されている。向井希夫牧師(60)たちが小礼拝堂のロッカーを整理した際、出てきたという。

 プログラムによると、礼拝の冒頭では「国民儀礼」として参列者が皇居方面や国旗に向かって敬礼し、君が代を斉唱していた。国策で41年に全国のプロテスタント教会を統合、設立された日本基督教団の指示を受けたものだ。

 1月3日付週報は、年初の決意文で「必勝の決意にもゆる一億の行進と共に」「己が十字架を負ひて、聖なる行進に身を投ずる事」とキリストの教えを戦意高揚のスローガンと重ねる。11月7日付では市内のキリスト教会関係者たちが「聖戦必勝祈禱(きとう)報国会」を開催したことに触れ、前線兵士の「武運長久」を祈ったとつづる。

 広島流川教会は1887年5月、細工町(現中区)で創立。移転を繰り返して1927年12月、旧上流川町に鉄筋の教会を新築した。45年8月6日、爆心地から900メートルで外壁を残して焼失し、教会員75人が犠牲になった。戦後に再建され、71年に現在地へ移転した。

 被爆時は教会から離れた場所にいて生き残った谷本清牧師(86年に77歳で死去)は、戦後に被爆者や原爆孤児の支援、平和運動にまい進したことで知られる。着任直後の43年6月6日の礼拝では、説教で連合艦隊司令長官・山本五十六の死を悼み、週報で「国が命ずるならば歓(よろこ)んで此(こ)の命捧(ささ)げやう」と呼び掛けていた。76年に公表した手記で、礼拝には必ず特高警察が紛れていたと明かしている。

 「被爆の悲惨さを伝えるだけでなく、戦争の過ちを繰り返さないためにも歴史を検証していく」と向井牧師。広島大大学院の辻学教授(55)=キリスト教学=は「治安維持法違反で牧師が投獄される事例もあったため、国や周囲から敵視されるのを避けたのだろう。教会が自主的に戦争協力の姿勢を示したことを裏付ける重要な資料」とみる。

 広島流川教会は、週報を年内に発行予定の教会130年誌に掲載するとともに、デジタル版の公開を検討している。

(2020年5月4日朝刊掲載)

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