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原爆資料館 地域と連携 小学校の展示品制作・資料の清掃体験

 原爆資料館(広島市中区)が、蓄積した専門知識を生かして市民と連携する動きを広げている。学校内の資料館の展示替えに協力したり、若い世代が業務を体験する機会を設けたり。被爆者の高齢化が進む中、記憶を継ぐため、資料調査や館内での展示にとどまらない役割を模索している。

 爆心地から約350メートルにある本川小(中区)の平和資料館にこの春、新たな展示物としてパネル2枚が加わった。前身の本川国民学校で被爆し、奇跡的に生き残った居森(旧姓筒井)清子さん(2016年に82歳で死去)が目撃した被爆後の惨状や、病と闘いながら被爆証言を重ねた戦後の歩みを伝える内容だ。

 パネルを制作したのは、原爆資料館の学芸員の土肥幸美さん(33)。本川小や地元住民の協力を得て、居森さんが校内のどこで被爆したのかをあらためて検証した。平和学習で活用しやすいよう、小学生に分かりやすい説明文も追求した。

 国内外からの見学者をボランティアで案内する「本川おもてなし隊」会長の田中八重子さん(70)はこれまで、居森さんのことを口頭で説明してきた。「戦後の生きざまを含めて正しく伝えるのが大切。専門知識を生かして良い展示にしてもらえた」と感謝する。

 市の広島原爆戦災誌(1971年)によると、本川国民学校では少なくとも218人の児童が即死した。平和資料館は、当時の校舎の一部を保存した被爆建物だ。土肥さんは「まさにこの場で、居森さんや亡くなった子どもたちについて知る意義は深い」と説く。

 原爆資料館は、若い世代が被爆資料に接する機会づくりも進めている。昨年12月には大学生や高校生に展示資料の清掃を体験してもらう事業をスタート。これまでに計10回実施し、広島市立大や基町高などから約20人を受け入れた。

 参加者からは「資料を守る重みを感じた」などの感想が寄せられたという。原爆資料館副館長の加藤秀一さん(59)は「被爆の記憶の継承には、地域住民の思いや次世代の力が不可欠だ。連携して取り組むことで、むしろこちらが新たな発想を得ることもある」と意義を語っている。(明知隼二)

(2020年7月29日朝刊掲載)

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