中国新聞社

2000・1・10

村民の意識

  危機直面 深まる懐疑心

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任期最後の定例会を終え、記念撮影に臨む村議たち。今月 18日告示の村議選では、今後、原子力とどうかかわっていくかが 問われる(1999年12月14日、茨城県東海村役場前)

迫る村議選も白熱

 「違法行為を見逃してきた国のチェック体制や、安全規制にも欠 陥があったと指摘せざるを得ない」

 国の安全責任問う

 真新しい議場の空気が一瞬、張り詰めた。昨年十二月十四日、茨 城県東海村議会の定例会最終日。臨界事故で、国の責任を問う科学 技術庁あての意見書を、全会一致で可決した。

 議員二十一人(欠員一)は、保守系二会派十七人と原子力に依存 する村政に批判的な共産党系会派三人、無所属一人に分かれる。保 守系二会派は事故後も、それぞれの「会派だより」で、新たな原子 力発電所誘致を政策の中に盛り込んでいる。

 「もし東海村が手を引けば日本の原子力は成り立っていかなくな る。二度と事故が起きないよう、国に安全チェックを徹底してもら えばよい」。保守系の河上勲議員(69)は、原子力との共存路線を変 える考えはない、と強調する。

東海村に国内初の「原子の火」がともったのは一九五七年。以 来、次々に原子力関連の事業所を誘致し、四十年余りで人口は三倍 の三万三千人を突破した。立派な文化センターや図書館、村立病院 が整備された。一般会計の歳入総額百五十億六千万円(九八年度決 算)のうち、原子力関連の歳入が各種税収や電源三法の交付金など で四七・七%を占める。

 脱原発の声上がる

 「原子力の村」と呼ばれる東海村で九七年、おおっぴらに「脱原 発」の声が上がった。きっかけは、村内にある動力炉・核燃料開発 事業団(現・核燃料サイクル開発機構)再処理工場での爆発事故。 寺院副住職の藤井学昭さん(40)たちは、住民グループ「脱原発とう かい塾」をつくり、十数人で勉強会を続けてきた。

 臨界事故の後、放射線研究者らを招いた集会を村内で三回開い た。いずれも予想を上回る百人前後が参加した。「周辺にも放射線 が出て、村民が当事者になってしまった。中性子爆弾が落とされた ようなものだ。本質的には広島への原爆投下と変わらない」。藤井 さんは、村民の意識の変化を実感している。

 事故を起こしたジェー・シー・オー(JCO)から約七百メート ルの所に住む主婦葛西文子さん(26)。「事故前は村民のほとんど が、深く考えず原子力を受け入れていた『無関心共存派』だった。 危険性を知ってから、懐疑的で批判的な住民が増えた」と語る。

 村の将来像を討議するため、村が設置している「まちづくり委員 会」のメンバー池本徳郎さん(64)は「原子力施設を今すぐなくすの は無理。当面、これ以上増やさず、国全体で原子力のあり方を議論 すべきだ」との意見だ。

 原子力が生活基盤

 別の見方もある。ある会社役員(37)は「家族が原子力関係に勤め るなど、村民の大半はしがらみでがんじがらめ。いくら疑問を感じ ても、声は上げられない」と漏らす。「村民の過半数がかかわって いる原子力は、いわば生活の基盤。現状は変えられない」と保守系 の猫塚豊治村議(60)。

 今月十八日、任期満了に伴う村議選が告示される。新たな原発を 誘致するなど、従来通り原子力と二人三脚で村の将来像を描くの か。それとも、これ以上施設を増やさず、原子力からの脱却を含め た方向性を模索するのか。「ここ一、二年が村の将来を決める分岐 点になる。その第一段階が村議選」と藤井さんは位置付ける。

 無投票との見方もあったが、七日、原子力反対を訴えてきた、脱 原発とうかい塾の結成メンバーの元団体職員相沢一正さん(57)が立 候補を表明した。「無投票は許されない。村民が意思表示するチャ ンス」。二十二の議席を二十三人で争う少数激戦になりそうだ。

 



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