中国新聞社

2000・3・26

被曝と人間 第3部 ある原発作業員の死
〔5〕高いハードル

がん、救済基準なし

  ■「健康手帳」求める声

 原子力発電所での被曝(ばく)と息子の白血病死には因果関係があるとして、嶋橋伸之さん=当時(29)=の両親が労災申請をしたのは一九九三年五月だった。両親も弁護士も、初のケースだと思っていた。
 ところが、申請直前、福島県の原発で働いた元作業員が九一年末、既に認定されていた、とのニュースが流れた。母美智子さん(62)は言う。「認定されたのは氷山の一角。あの子と同じように被ばくして発病した原発労働者が、まだ埋もれているって思いました」

 原発作業員の放射線障害に関する労災申請は、七五年以降十件あり、嶋橋さんも含めて四件が認定された。認定の病名はいずれも白血病である。

 嶋橋さんの労災申請に携わった海渡雄一弁護士は、認定を得た後、数人の原発作業員から、労災に関する相談を受けた。だが、申請にまでは至っていない。
 「白血病については、労災認定の基準となる被ばくの相当量が決められ、救済の手はある。だが、がんの場合、具体的な認定基準がなく申請すら難しい。白血病もがんもさまざまな原因が考えられるが、被ばく作業に従事する以上、明確な基準を定めるべきだ」
 海渡弁護士は、被ばく作業員の健康管理についても問題がある、と指摘する。原発の定期検査時に短期で雇われた下請け作業員は、離職したら健康診断を自費で受けなければならない。彼らに健康管理手帳を交付すべきだ、と提案する。

 労働安全衛生法は「がんその他の重度の健康障害を生ずるおそれのある業務」に従事した人に離職後、健康管理手帳を交付すると定めている。その対象は、ベンゼンなどの有機化合物や粉じんなどを取り扱う仕事。手帳を持っていれば、国費で健康診断を受けられる。

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中部電力浜岡原子力発電所。嶋橋さんは約8年10カ月、原子炉の計測機器の保守点検を中心に、この原発で作業した(静岡県浜岡町)

 「交付対象に放射線業務が入っていないのは、放射線に接することが危険な仕事ではない、という認識があるから。原発内の仕事は階層的で、被ばく量が多いのは下請け作業員。各地の原発を渡り歩く人もいる。彼らが離職後に体調を崩した時、何の保護もない」
 こうした主張に、中部電力浜岡原子力総合事務所の村本卓広報グループ部長は、放射線影響協会が実施した疫学調査では、放射線業務に従事していても、がんや白血病による死亡率に有意な差はなかった、と説明する。
 「われわれは法定基準を信じ、その枠の中できちんと仕事をしている。これまでも作業員の被ばく線量を軽減するよう努めてきたが、一層努力したい」

 嶋橋さんの労災認定には、労組員や平和運動団体のメンバーをはじめ、全国から約四十万人の支援署名が寄せられた。

 美智子さんは昨年、一冊の本を書いた。タイトルは「息子はなぜ白血病で死んだのか」と付けた。
 「原発で働く若い人たちにこれ以上、あの子と同じ目に遭わせたくなくて…。被ばく労働の実態を伝えてくれる人が後に続いてくれると思っていたけど、まだその気配はありません」
 白血病と原子力施設での被ばくとの因果関係の有無をはっきりさせるには、低線量被ばくという、未解明の問題が横たわる。放射線管理手帳が発行された人数は二十九万二千四百三十四人(九九年三月末現在)。被ばくと隣り合わせにある作業員は、増え続けている。

(第3部おわり)

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