カモメの子どもは飛び立った

'99/8/6

English

 北海でニシンの群れを追っているうちに、流出原油にまみれたひ ん死のカモメと猫の物語から始めよう。

 ―原油の海から、やっとの思いで飛び立った銀色翼のケンガー は、港町のとあるバルコニーに疲れきって墜落する。そこには、一 匹の黒い大きな猫のゾルバがいた。息も絶えだえのケンガーは、こ れから産み落とそうとする卵をゾルバに託すことにし、三つの厳粛 な誓いを立てさせるのだった。目をしっかりと見開いて。

―どうか私が産む卵を食べない、と約束してください。
「約束す る。卵は食べない」
―ひなが生まれるまで、その卵のめんどうを見てください。
「約束する。卵のめんどうを見る」
―最後に、ひなに飛ぶことを教えてやる、と約束してください。 (ゾルバの瞳(ひとみ)をじっと見つめて頼むケンガー。初めの二 つは、愛情だけで守れても三つ目の約束は大いなる知恵とみんなの 協力が必要だった)

 ◇  ◇  ◇

 人間のあるべき本質を寓話(ぐうわ)形式で書かれたルイス・セ ペルベダ著「カモメに飛ぶことを教えた猫」(河野万里子訳、白水 社)は、人類生存へのさまざまな脅威と未来に託す希望への比ゆと して、胸の内に深く静かに語りかけてくる。「異なる者どうしの愛 こそ尊い」という思いが、自然に伝わってくるからだ。

 被爆から五十四年。幾多の危機的状況を乗り越えてきたかに見え る今日、「異なる者どうしの融和」がどれだけ果たされてきただろ うか。冷戦終結後の十年をみても、その一時期、米国とロシアを中 心に戦略兵器削減への協調的な動きは、確かにあった。核管理体制 も、核拡散防止条約(NPT)の無期限延長、それに呼応しての包 括的核実験禁止条約(CTBT)の締結など一応の前進は見られ た。

 しかし一方で、湾岸戦争をきっかけに脅威の潮流は、悪化の一途 をたどり始めた。昨年五月、インドとパキスタンによる相次ぐ核実 験の強行やコソボ紛争が現況を象徴している。にもかかわらず、国 連軍縮特別総会は、一九八八年六月の第三回以来、十一年余も開か れていない。「実効ある合意の場にはなり得ない」との理由から だ。

 先月末、京都市で開かれた第十一回国連軍縮会議でも「私たちは 東西冷戦が終わったという至福感に浸り、気を緩めてしまったので はないか」(駐仏ブラジル大使)といった反省から、「各国とも心 を開いて信頼を築き、現状打開に取り組まねばならない」と提起す る意見が相次いだ。

 こうした状況下、「核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム」 が、一年がかりでまとめた提言など評価される動きも少なくない。 昨秋の国連総会では、わが国が提案した究極的核廃絶決議案が、米 国など核兵器保有国を含む百六十カ国の賛成を得た。「東京フォー ラム提言はこの決議を多くの点で超える内容を盛り込んでいる」 (高村正彦外相)との評価だ。

 東南アジア地域への核兵器の持ち込み、使用を禁止した同地域非 核条約の議定書に先月末、中国とインド、ロシア三カ国が署名、ま たは署名を検討する意向を表明し、米国の戦略に揺さぶりをかけ た。京都会議さなかの意向表明で、評価意見が多くある中、インド に対する厳しい批判もあった。「軍事力こそ国際的優位とする国の 非核条約署名は、ハトの群れに猫を放つようなものだ」というの だ。

 国家間の政策の違い、戦略の矛盾を解きほぐすのは容易でない。 国連主催とはいえ、個人の資格参加者による論議の場の京都会議で も、国ベースの主張からは抜け切れない。

 比較的こうした傾向の強い中国だが、国務院発展研究センターの ジャン・ユウィン・ファン副局長が締めくくりの会議で強調した 「信頼と対話の必要性」の訴えは印象的だった。「悲観論が先行し ては前進がない。困難に当たっては、相手のイメージが大事。まず はお互いの不信感を取り除くことから始めよう。それは平和文化の 醸成から」との提案だ。

 「原爆の日」のきょう、秋葉忠利広島市長は平和宣言で、原爆が もたらした惨苦と絶望を乗り越えてきた被爆者への感謝の意を表 し、被爆体験の継承と核兵器廃絶への強い意志の必要性を内外に訴 える。「核兵器は絶対悪」との認識をさらに強め、強い意志力でヒ ロシマの意味を人類の遺産として受け継ごうとの強い思いからだ。

 ◇  ◇  ◇

 死に直面して必死に訴える母親カモメの願いを聞き入れた猫のゾ ルバ。仲間たちと人間(詩人)らの力を借りて卵からひなに、そし て子カモメ、フォルトゥナータを育てあげ空への旅立ちに精魂傾け る。おじけづく子カモメを励まし、やっとの思いで飛び立った時、 ゾルバはつぶやくように言った。「飛ぶことができるのは、心の底 からそうしたいと願った者が、全力で挑戦したときだけだ」


MenuNext