2000年6月18日
 一九九〇年八月のイラク軍のクウェート侵攻に対し、翌年一月十 七日、米国を中心とした多国籍軍が空爆に踏み切った。こうして始 まった湾岸戦争。三月三日の停戦協定成立までに犠牲となったイラ ク人は、民間人を含め十万人を超える。戦場となったイラク南部で は、米・英両軍が使用した放射能兵器である劣化ウラン弾などの影 響が強く残る。兵士ばかりでなく、白血病などで命を落とす多くの 子どもや市民。九〇年から続くイラクへの経済制裁が、医薬品など の不足に拍車をかけ、事態は深刻さを増している。
(田城 明、写真も)

1 放射線治療

施設は国内2ヵ所 待つ間に死亡例も

バクダッド市地図甲状腺がんの位置を確認するため、カメラ撮影を受ける女 性患者。機器が古く、骨がんなどの位置確認には使えない(バクダッド市)甲状腺がんの位置を確認するため、カメラ撮影を受ける女性患者。機器が古く、骨がんなどの位置確認には使えない(バクダッド市)

  ヨルダンの首都アンマンから車で東へ約九百キロ。イラクの首都 バグダッドに到着後、文化情報省で取材の手続きを済ませ、翌日市 内の放射線・核医学研究所兼病院を訪ねた。
タハ・アル・アスカリさん

  治療までに3ヵ月

 「見ての通り、患者がいつもいっぱいでね。放射線治療を受ける ために、一カ月から三カ月も待たなければいけないんだ」。恰幅 (かっぷく)のいい病院長のタハ・アル・アスカリさん=写真左=(41)は、一 階の廊下で治療を待つ患者たちに時折声を掛けながら、院長室隣の 会議室に向かった。

 イラクで放射線治療設備のある病院は、ほかに北部のモスル市に もう一カ所あるだけ。放射線治療患者の八割以上が、この病院で治 療を受ける。

 「モスルには機器が一台。ここには四台ある。そのために全国か ら患者が集まる。そのうち四~五割はイラク南部の戦場地域や周辺 の人たちだよ」

 アスカリさんは、特にここ数年、その傾向が強まったという。 「米・英両国が使った劣化ウラン弾による影響が出ているのだろ う。これから先、患者が増える可能性は高い。でも、今の古い設備 ではとても対応できない」と頭を痛める。

 同席していた腫瘍(しゅよう)学専門のカースム・ファーレさん (52)の案内で、治療室を見学した。

 「四台のうち、比較的新しいのは昨年十一月にフランスから入っ たこの機器だけ。これも先進国で使われているのに比べれば、随分 遅れたものだけどね…」

 治療中のランプと音が消え、厚いドアを開けて中に入ると、脳腫 瘍の治療を終えた女性が、白い大きな機器から下りていた。

  1日に80人が限度

 他の三台の機器は既に二十年がたち、時代物の印象はぬぐえな い。一台は乳がん、もう一台は皮膚がん専用である。午前八時から 深夜十二時まで、四台が稼働して八十人の治療が限度。うち十~十 二人は毎日新しく受け入れた患者である。

 「機器が古いので、放射線源のコバルト60から放出されるガンマ 線が弱くなっている。普通なら瞬時に終わる治療も、必要な線量に 達するまで十五分から三十分もかかってしまう」とファーレさん。

  入手困難ヨウ素131

 その上、機器に故障が起きると古くてスペアがなく、修理専門の 技術者もいない。「この時は一気に効率が落ちてしまう」と嘆く。  固形腫瘍患者のみを治療するこの病院では最近、脳腫瘍、悪性リ ンパ腫のほか、子どもの甲状腺(せん)がんや女性の乳がん患者の 増加が目立つという。

 しかし、甲状腺がんの治療に必要なヨウ素131は、放射線治療 機器と同じように「放射性物質」として経済制裁で入手がままなら ず、乳がんの患者らの中には、治療を待つ間に死亡するケースも少 なくない。

 「今も百二十人以上の患者が放射線治療を待っている。われわれ がベストを尽くして治療に当たっても、現状では助けられないこと が多い」。案内に加わったアスカリさんは、無念さを口元ににじま せた。

 効率の悪い機器と数の不足、最新の学術文献や医学雑誌の欠如、 閉ざされた国際学会への参加…。

 「治療法は日々進歩しながら、われわれはこの十年間、経済制裁 のために新しい機器や知識を求めることすら許されなかった。放射 能をまき散らして被曝(ひばく)者をつくりながら、治療の道は閉 ざす。こんなことが許されていいのだろうか…」

 アスカリさんは、穏やかな口調でこう問い掛ける。

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