中国新聞社
98/12/15

ヒロシマの記録-遺影は語る  天神町南組


死没者名簿


坂本 敬美(17)
広島高校1年動員先の日本製鋼所が電休日のため、両親がいた舟入本町(中区)に戻る途中に被爆。30日、広島県双三郡の親族宅で死去実家は天神町120番地の天満宮で父が社掌(戦後は宮司)。天満宮は、町名の由来となった「天神さん」の愛称で知られる。建物疎開による解体を免れたため、住民たちが家財道具を疎開させていた。(注・遺影なし)

築山城子 妹 築山 城子(むらこ)(13)
市立第一高女(舟入高)2年中島地区一帯の建物疎開に動員され、7日収容された江波小で死去。

祖父 坂本 虎雄(71)
遺骨は不明。(注・遺影なし)

岸本 コイワ 岸本 コイワ(不明)
理髪業同じ天神町南組にいた岸本シズの義妹。一人暮らしの自宅で爆死したとみられる。遺骨は不明。
竹内 光子 竹内 光子(38)
材木店天神町94番地の自宅で爆死したとみられる子どもと6人。広島県安芸郡江田島町にいた母と女学校1年の二女、小学6年の三女が夕刻、爆心地まで入る。8日、自宅跡で黒焦げとなった数体の遺体を確認。

長女 和子 長女 和子(17)
実践高女(鈴峯女子高)専攻科自宅跡に愛用の自転車がなく、女子挺(てい)身隊員として徴用先に向かったとみられる。遺骨は不明。

四女 利江 四女 利江(10)
中島小4年二女と広島県双三郡三良坂町の忠魂寺に学童疎開していたが、父が7月20日病死し、葬儀参列のため帰省。6日疎開先に戻る予定だった。

二男 哲二 二男 哲二(7)
中島小2年爆死。

五女 敦子 五女 敦子(5)
幼稚園児爆死。

三男 碵哉 三男 碵哉(ひろや)(3)
爆死。
西川 サダ 西川 サダ(64)
建材店天神町官有9番地の自宅で爆死したらしい。遺骨は不明夫と2人。夫は爆心2・5キロの吉島本町(中区)に向かう途中に、二男は工兵隊員としていた爆心1・8キロの三篠小(西区)で被爆。
谷口 花子(不明)
建具店が取り壊しとなり、夫と義理の息子の3人で転居した西観音町(西区)からの地域義勇隊約270人とともに水主町(中区)の県庁一帯の疎開作業に出る。遺骨は不明。(注・遺影なし)
大島 基靖(23)
山根機械合資勤務元安川に面する自宅が建物疎開となり、爆心0・5キロの左官町(中区本川町)の勤め先に住み込んで被爆。母と兄弟の6人がいた大野村(広島県佐伯郡大野町)にたどり着くが、14日死去。

弟 隆善(16)
鉄道学校生徒建物疎開の動員を控えて5日、基靖がいた左官町へ。15日、大野村で死去。当時小学4年だった妹は「長男の基靖は眠るように、三男の隆善は苦しんで死にましたが、母は『日本が負けたのを知らないで死んだのがせめても…』と言いました」と振り返る。

四女 靖子(20)
比治山高女1年の時に、爆心2・9キロの霞町(南区)の学校で被爆。原爆症を患い、52年10月21日死去。(注・いずれも遺影なし)

谷村 亥六 谷村 亥六(46)
古鉄金物店自宅は天神町94番地。爆死妻と三女の3人。いずれも遺骨は不明。娘三人は、母の生家がある祇園町(安佐南区)に疎開していたが、4日帰宅して5日疎開先に戻った小学3年の二女だけが残る。

妻 フジエ・三女 暢子 妻 フジエ(34)(右)
爆死。

三女 暢子(3)(左)
母が5日連れて戻り、両親と一緒に爆死。

長女 澄子 長女 澄子(20)
日銀広島支店勤務出勤途中の爆心0・7キロの十日市町(中区)で被爆し、夕方リヤカーで運ばれて祇園町の祖母宅に戻るが、14日死去。

菅近 茂一 菅近 茂一(47)
教念寺役僧教念寺で爆死したとみられる。遺骨は不明妻と娘の3人。境内にあった自宅が取り壊され、元住民によると、津田医院に移っていたという。

妻 アヤノ 妻 アヤノ(43)
下敷きとなった家屋をはい出し、夫や娘を捜す。13日、夫の生家がある広島県賀茂郡西条町(東広島市)で死去。

長女 八重子 長女 八重子(22)
東亜交通公社(日本交通公社)勤務大手町(中区)にあった職場で被爆して13日、花嫁衣装を疎開させていた西条町に。隣の部屋に母の遺体があるのを知らされぬまま翌14日死去。
津田一家 津田 享平(50)=右から2人目
産婦人科医天神町96番地の医院で爆死したとみられる妻子の5人一家全滅。医療従事者は、県が45年3月発令した「防空従事業務令」により、市外への疎開を禁じられていた。家屋が取り壊された近隣住民や、住み込み看護婦がいたといわれているが、詳細は不明。

妻 辰子(41)=右端
爆死。

長男 潤(18)=左から2人目
九州大医学部在学夏休みで帰省して爆死。下宿していた福岡市の叔父宅に「8日ごろ戻る」との手紙が届いていた。

長女 和子(16)=左端
爆死。

二男 耕(つとむ)(13)=中央
広島二中(観音高)1年本川に面する中島地区の建物疎開に動員され、級友340余人とともに爆死福岡在住の祖父が、医院跡で遺骨5体を見つけるが、76年、耕の遺骨は平和記念公園内の原爆供養塔にあるのが分かり、叔父が納骨。

蔵本 香織 蔵本 香織(15)
県立第一高女(皆実高)4年天神町官有49番地の自宅が取り壊され、広島県賀茂郡川上村(東広島市)に転居。登校のため爆心0・5キロの白神神社前停留所で電車を降りたところ、一緒にいた妹と被爆し、17日、疎開先で死去医師の叔父や叔母は天神町40番地の蔵本内科で爆死。

妹 毬尾 妹 毬尾(12)
県立第一高女1年14日、川上村で死去広島高校(広島大)1年の時に被爆した兄は96年、医師として初めて被爆体験をつづる。「妹二人が無事に帰宅したという喜びも束(つか)の間で、原爆放射線障害による激しい下痢が続き(略)母に肩を抱かれるようにして母をみつめたまま、瞳孔(どうこう)がすっと開いて静かに死んでいった」
宮木 チヨ・三男 洵(ひとし) 宮木 チヨ(50)
遺骨は不明。亡夫が住職だった天神町110番地の浄土真宗教念寺が建物疎開となり、7月末ごろ中島本町の浄宝寺に転居していた。

三男 洵(ひとし)(18)
広島高等師範(広島大)2年5日帰宅して翌朝、学徒動員先の東洋工業(マツダ)に向かい、爆死したらしい。遺骨は不明。

田中 正喜・妻 幾久世 田中 正喜(49)(左)
広島県地方木材統制会社勤務県産業奨励館(原爆ドーム)にあった職場に向かうため天神町官有33番地の自宅を出たところ爆死養女と3人。養女は徴用された爆心2・3キロの広島地方専売局(日本たばこ)で被爆。

妻 幾久世(46)(右)
自宅玄関前で爆死正喜の兄らが投下翌日、東広島市から捜しに来て2人の遺骨を確認。

久保 冨次郎 久保 冨次郎(47)
履物製造天神町116番地の自宅が建物疎開となり、7月に移った天神町22番地の民家で爆死18歳の長男が復員した9月、カンナなどが散乱していた焼け跡を掘り返し、父と妹とみられる遺骨を納める。三男と三女は中島小から三良坂町へ学童疎開。

妻 フミ子・二女 和枝・四女 悦子 妻 フミ子(39)
出産のため疎開した牛田町(東区)の親族宅から四女と五女、生後間もない四男を連れて転居先に戻る途中に爆死したらしい。遺骨は不明。

二女 和枝(13)(左)
進徳高女2年建物疎開作業に向かうため、爆心1・4キロの南竹屋町(中区)の校庭に集合して級友330余人とともに被爆。遺骨は不明。

四女 悦子(6)(中)
中島小1年父と一緒に爆死。

五女 朋子(3)
母と爆死。遺骨は不明。(注・遺影なし)

四男 憲司(生後18日)
母と爆死。遺骨は不明。(注・遺影なし)

畑 好人(45)
京表具製造天神町114番地の自宅が建物疎開となり、古市町(安佐南区)に移るが、爆死妻と娘の3人の遺骨はいずれも不明。中島小から三良坂町などへ学童疎開していた息子3人は12月末、五日市町(佐伯区)の広島戦災児育成所に。(注・遺影なし)

妻 ハルコ 妻 ハルコ(36)
爆死。

二女 和子(1)
爆死。(注・遺影なし)

野田 玉吉 野田 玉吉(55)
建築板金業天神町115番地の自宅が取り壊され、天神町北組の建具店に転居した。爆死妻と2人。

妻 ワカノ 妻 ワカノ(55)
投下前日の5日、広島県佐伯郡砂谷村(湯来町)の実家から戻る夫妻の遺体は、天神町北組の天城旅館跡で従業員らと一緒に焼かれて不明となっていたが、75年、市から二男に返却される。

二女 芳江 二女 芳江(15)
進徳高女3年爆心540メートルの広島中央電話局(中区袋町)に動員されて被爆。復員した二男が29日、砂谷村でみとる。「兄さんが帰って来たので安心して死ねる」が、いまわの際の言葉。
渡辺 貞兵衛 渡辺 貞兵衛(66)
酢販売自宅は天神町119番地。町内会ごとにつくられた地域国民義勇隊の天神町中隊員として市の第6次建物疎開作業に動員され、爆死妻と2人。呉の海軍工廠にいた長男が遺骨を捜すが、不明。

妻 コヨネ 妻 コヨネ(53)
被爆後、運ばれた長男の妻の実家がある広島県双三郡で46年6月15日死去。
死没者の名前(年齢)
職業被爆死状況45年8月6日の居住者(疎開や応召は除く)と、ほかの家族らの被爆状況=いずれも遺族の証言と提供の記録、公刊資料に基づく(敬称略)


津田 キミ 津田 キミ(54)
たばこ店自宅は天神町150番地。建物強制疎開で家屋が壊されて出来た町内の空き地へ野菜作りに出かけたらしい。遺骨は不明夫と息子の4人。夫は大工仕事に出た爆心2・5キロの三篠方面(西区)で被爆。一家は祇園町(安佐南区)への疎開を控えていた。

二男 澄 二男 澄(しげる)(15)
中国配電(中国電力)勤務爆心0・7キロの中国配電本店で爆死したとみられる。遺骨は不明。

三男 晃 三男 晃(13)
崇徳中1年学徒動員で爆心0・8キロの八丁堀方面の家屋疎開作業へ。遺骨は不明。
亀石 フジ子 亀石 フジ子(41)
天神町151番地の自宅に5日、疎開先の高宮郡落合村(安佐北区)から荷物を取りに戻って泊まり、爆死したらしい応召中の鍼灸(しんきゅう)師の夫は戦後、天神町南組の死没者調査に取り組み、慰霊碑建立にも尽力。

青木 多喜子 青木 多喜子(5)
フジ子と一緒に爆死。子どものいない夫妻が幼いころから預かっていた。
湯蓋 良一(40)
ブリキ製造天神町151番地の自宅跡で、家族が遺骨を確認山口県玖珂郡に疎開していた妻と3人の子どもは爆心2キロ広島駅近くで被爆。(注・遺影なし)
坂戸 大三(32)
印刷所経営応召中だったが、天神町152番地の自宅に戻り、爆死したとみられる妻子5人の一家全滅を兄が確認。市への届け出は「昭和弐拾年八月六日午前八時拾五分 天神町番地不詳ニ於(おい)テ死亡全居住者」。(注・いずれも遺影なし)

妻 タミ子(27)
爆死。

長女 良子(7)
爆死。

二女 弘子(4)
爆死。

三女 悦子(生後11カ月)
爆死。

山崎 壽三 山崎 壽三(かずそう)(46)
印刷所経営天神町146番地の自宅玄関前で爆死妻と兄、めい、住み込み従業員の5人。兄の益太郎は爆心0・7キロの中国配電本店で被爆し、弟夫婦らの遺骨を確認。

妻 行子 妻 行子(34)
居間近くで爆死。

渡辺 一郎(15)
住み込み従業員益太郎が遺骨を確認し、山崎家の墓に埋葬。(注・遺影なし)。

他に男性2人、女性1人が働いていたが、詳細は不明。

岸本 シズ 岸本 シズ(32)
酒販売天神町南組の自宅で、子ども3人と一緒に爆死5人。広島商業1年の長男は、校舎が移った爆心2キロの皆実町(南区)の旧広島師範学校(広島大)校庭で被爆。家族の遺骨は、応召中の父の知人が見つけて長男が収容された広島県豊田郡に運ぶ。

長女 幸子・二女 政子 長女 幸子(6)(右)
中島小1年爆死。

二女 政子(6)(左)
中島小1年爆死。幸子と双子の姉妹だった。

二男 敏行(生後数カ月)
(注・遺影なし)

山本 小夜子(32)
酒・醤油販売遺骨は不明2人。天神町の自宅が取り壊され、義妹と元安川に面する町内の佐伯建材店に移ったらしい。佐伯一家は三次市に疎開。子どもたちは母の生家の広島県豊田郡に疎開。(注・遺影なし)

山本 光子(27)
義姉と爆死応召の夫は49年シベリアから復員。(注・遺影なし)

鍋屋 清次郎 鍋屋 清次郎(61)
家具製造天神町144番地の自宅で爆死三男夫婦と3人。二女が自宅跡で遺骨を確認。

二男 正儀 二男 正儀(32)
家具販売妻と疎開していた広島県安芸郡矢野町(安芸区)から荷物を取りに爆心1・5キロの南竹屋町(中区)の自宅に一人で戻り被爆。25日、矢野町で死去。

三男 芳輝 三男 芳輝(29)
家具製造天神町144番地の自宅で爆死。

三男の妻 栗花子(つゆこ)(23)
夫の芳輝と爆死。(注・遺影なし)
渡辺 徳一 渡辺 徳一(51)
表具製造天神町143番地の自宅から、爆心1・5キロの観音方面(西区)にあった紙の統制組合に出かけて被爆。47年8月15日、胃がんで死去7人家族のうち福山の電気工場に勤めていた長男一人が残る。

妻 逸子 妻 逸子(38)
爆心450メートルの自宅で被爆し、親族がいた廿日市市までたどり着くが、13日死去生家の広島県高田郡吉田町に疎開していたが、渡辺宅から北側は建物疎開を免れ、投下2日前に子ども3人を連れて戻る。

長女 貞子・二女 富貴子・二男 富弥 長女 貞子(17)(左)
爆死。遺骨は不明胸を患い、吉田町に疎開していた。

二女 富貴子(14)(右)
進徳高女生徒自宅で爆死。

二男 富弥(11)(中)
母と戻った自宅で爆死。

三男 暁良(あきら)(3)
母が抱いて火の手を逃がれ、元安川で過ごす。9日、廿日市市の親族宅で死去。(注・遺影なし)

加用 利雄 加用 利雄(79)
元広島陸軍被服支廠(しょう)勤務天神町137番地の浄土宗清岸寺が建物疎開となり、住職の息子家族3人と4月に白島九軒町(中区)に移る。爆心1・7キロの転居先で焼死。
藤井 篤 藤井 篤(3)
家族5人で移った爆心2キロの舟入川口町(中区)で被爆し、その夜に広島第一陸軍江波分院で死去生家は天神町135番地の金物店。母は二男の被爆死を今、「兵隊さんは手がもげても我慢しとるんじゃから、『痛い』いうたらいけんよと言って…。むごい目に遭わせました」と語る。
河村 政吉 河村 政吉(66)
米穀店遺骨は不明。爆心1キロの雑魚場町(中区)にあった県食料営団配給所に出たらしい天神町130番地の自宅から7月、妻子ら6人で中島本町(平和記念公園)に転居。妻と小学4年の四女は疎開先の戸坂村(東区)に向かう途中に被爆。

三男 博夫 三男 博夫(13)
広島商業1年爆心2キロの皆実町(南区)の校庭で被爆し、遺骨は不明。市役所そばの雑魚場町の建物疎開への動員がかかっていた。

五女 泰子 五女 泰子(4)
転居先で小さな骨が見つかる。
西村 貞夫 西村 貞夫(14)
崇徳中3年爆心1キロの小網町(中区)方面の建物疎開に動員されて被爆し、11日、広島県安佐郡可部町(安佐北区)の寺で死去自宅は天神町127番地の畳店。学童疎開の弟や妹を除く家族4人は段原日出町(南区)に転居していた。
松浦 民三郎(56)
質店天神町124番地の自宅が取り壊され、材木町(平和記念公園)に転居して爆死妻と2人。弟が転居跡で金歯により遺骨を確認。長男はフィリピンで戦死。(注・遺影なし)

妻 ツ子 妻 ツ子(ネ)(51)
爆死。

長女 大石 フミエ 長女 大石 フミエ(不明)
夫が応召となり、一人娘を連れて両親の元を訪ねて一緒に爆死。
今田 文子 今田 文子(48)
釣具・金物店天神町92番地の自宅で爆死。3人。夫は勤め先の木工場に向かった三篠方面(西区)で被爆し、自宅跡で妻と娘の遺骨を見つける。

長女 美穂子 長女 美穂子(18)
市立第一高女(舟入高)を卒業して船越町(安芸区)の日本製鋼所広島製作所に徴用される。投下日は電休日のため自宅にいた。
田中 平助 田中 平助(62)
石材業天神町92番地の自宅で爆死したとみられる。遺骨は不明三女と三男の3人。中国配電(中国電力)勤務の三男は爆心4キロの宇品方面(南区)に向かう途中に被爆。病死した長男夫婦に代わり育てていた孫娘が広島県双三郡三良坂町に学童疎開していた。

三女 亀代 三女 亀代(31)
遺骨は不明。
山崎鶴蔵(61)
妻 トモ(58)
長男 祥一(38)
骨とう業転居した天神町北組で爆死し、長男は31日死去。(注・遺影はいずれも10月15日付の「天神町北組」編で掲載)