中国新聞社

99/6/28

ヒロシマの記録-遺影は語る
広島二中


新たに確認できた死没者(遺影提供も含む)

【1年4学級】
坪島 克司 水永 龍男(12)
広島市己斐町(西区)麻布中(東京)から転校中島新町の建物疎開作業に動員され、遺骨は不明。妹皐子は「兄は、三井物産勤務の父の転勤でいた中国・青島から小学5年の時に東京へ一人戻り、会社の三友学舎にいました。東京大空襲で焼け出され、母方の祖母がいた広島に移りました。『日本のために頑張るんだ』と言って作業に出たそうです。翌年に引き揚げ、兄の死を知りました」。二中慰霊碑に刻まれる1年生死没者321人(うち1人は62年死去)のうち282人の被爆状況が分かった。