中国新聞社

99/6/28

ヒロシマの記録-遺影は語る
細工町


新たに確認できた死没者(遺影提供も含む)

新谷 和夫(18)
島病院放射線技師助手。広島工専(現・広島大)2年爆心ゼロメートルの細工町29の 2番地(中区大手町1丁目)の島病院に出勤していたとみられる。遺骨は不明。妹保子は 「原爆の8日前、厳島町(佐伯郡宮島町)の実家に帰ってきた兄は、看護婦さんたちと撮 った写真を見せてくれました。思えば、別れを告げにきたのでしょう…。7人きょうだい のため島病院で働きながら中学夜間部に通い、飛び級で工専に入りました。自慢の兄です」(注・遺影は2月21日付「細工町」で、病院職員たちの集合写真により掲載)広島市立中(現・基町高)1年の弟睦夫(13)は爆心900メートルの小網町一帯の建物疎開作業に動員され、遺骨は不明。

畑田 峯雄 畑田 峯雄(36)
野田商事合資会社勤務細工町38番地にあった勤務先の紙卸と印刷工場が建物疎開とな り、移転した中島本町の事務所で爆死したとみられる。小学3年で、佐伯郡小方村(大竹 市)に母たちと3月に疎開した長男和彦は「それまでは大手町4丁目(中区)に家族5人 でいました。父は紙製品を郊外に疎開させる役目があり、店に住み込んでいました。生前 の父を知る人を今も捜しています」。