2000年4月6日
3 二次汚染
オクラホマシティー地図折りづるを折るキンダーさん(中央)と一緒に、ひと時をすごすステイシーさん夫妻=オクラホマ州アイノラ町折りづるを折るキンダーさん(中央)と一緒に、ひと時をすごすステイシーさん夫妻=オクラホマ州アイノラ町
 
性交渉で妻にも被害 夫、危険性教わらず

 しの突く雨の中、ようやく探し当てたマイク・ステイシーさん(32)の家には、貧困が忍び寄っていた。古びたソファ、ほころびたマット…。

 そのソファに腰を下ろしたステイシーさんと妻のショワンナさん(27)は、一人娘のキンダーさん(11)が学校で習ってきたという折りづる作りに興じていた。

  年金10万円が収入

  「娘のためにも仕事は続けたかった。でも、体が続かなくて…」。ステイシーさんは、悔しさをにじませながら、四年前に郵便局を辞めた理由を明かした。それ以後の収入は、退役軍人省から支給される疾病・障害年金の月千ドル(約十万七千円)ほどの収入だけ。電話代などは彼の両親に助けてもらっている。

 オクラホマ州北東部のアイノラ町は、人口千五百人足らず。田舎で生まれ育ったステイシーさんは、高校を卒業して二年後に十五歳のショワンナさんと結婚。「軍隊に入って生活を向上させたい。将来は大学へ行く奨学金ももらえるから」と、一九九〇年四月、四年契約で陸軍に入隊した。

 しかし、湾岸戦争がすべての計画を狂わせる。兵士として国のために働いたことは、後悔していない。「でも、その後の軍、退役軍人省の冷たい対応や、妻の健康まで犠牲にすることが分かっていれば、決して入隊はしていなかった」

  戦車隊で弾を装填

 戦車隊で劣化ウラン弾を装填(てん)するのが任務だった。九一年二月二十四日、イラク軍との地上戦が始まって戦闘に参加。友軍の誤射で、多数の死傷者を出した時は、劣化ウラン弾で破壊された戦車や装甲車から負傷者を救出した。

 「劣化ウラン弾を使っているのは知っていた。でも、放射能の危険性なんて全く教えられていなかった」と憤る。彼の部隊は、三月三日の休戦協定後も約二カ月、汚染された砂漠地帯にとどまった。

 五月八日、駐留先のドイツで待つ妻子の元へ。何カ月も身に着けたままの戦闘服、軍靴、寝袋…。戦場で使っていた身の回り品と一緒に、知らないまま放射性物質まで家に持ち込んでしまった。

 「マイクの帰国直後から私たちまで体調を崩してしまって。特に私は…」。ショアンナさんはそこまで言って夫と目を合わせ、意を決したように言葉を継いだ。

 「実はセックスの度に、私の下腹部は燃えるような痛みに襲われていたの。今でこそ、それが重金属で毒された夫の精液が原因だって理解している。でも、九四年に劣化ウランについて調べている人と出会うまでは分からなくて…」

 腹痛、流産、月経時の激しい痛み、頭痛…。劣化ウランを取り込んでしまった彼女の体は、徐々にむしばまれていった。今では香水の香りで気分が悪くなり、太陽光線にも皮膚が敏感に反応する

  体力衰えるばかり

 ステイシーさんの体力も衰えるばかり。下痢、関節や足の痛み、全身のけん怠感…。これまでにカナダの放射線化学者が、二度彼の尿を検査。いずれも劣化ウランが検出された。カリフォルニア州の民間医による血液検査では、重金属汚染と診断された。

 だが、退役軍人省はそれを認めていない。ステイシーさんが受け取る疾病・障害年金も、戦争による「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」が理由である。

 「自分たちには健康保険も貯金もない。だから、ひどい扱いを受けても退役軍人病院を頼るしかない。妻も含めて、治療をきちっとしてもらいたい。それが望みなんです」

 深夜にまで及んだインタビュー。降りしきる雨の中、懐中電灯を手に車まで見送ってくれた夫妻のすがるようなまなざしが、今も脳裏から離れない。

next | back | 知られざるヒバクシャindexへ