米軍が湾岸戦争で初めて実戦で使った劣化ウラン弾の弾芯(しん)の貫通体は、マサチューセッツ州とテネシー州の二カ所の軍需工場で生産された。放射能兵器はイラク軍戦車に絶大な威力を発揮した。が、一方で自軍兵士にも被曝(ばく)などによる深刻な健康被害をもたらした。米国市民の身近にある生産現場周辺の町まちを訪ねてみると、ここでも放射能汚染による環境や人体への影響が、暗い影を投げかけていた。          
(田城 明、写真も)
2000年4月24日
1 ずさん投棄
住宅そばに汚染工場 ため池へ20年以上

 マサチューセッツ州の州都ボストンから北西へ約三十キロ。独立革命の発端となった歴史の町コンコードの南西端に、劣化ウラン弾の貫通体を製造するスターメッツ社はあった。人口約一万八千人。森に囲まれた閑静な住宅地にある数少ない工場である。

 「この工場の敷地は今、州政府が定める最も有毒な廃棄物汚染地に指定されているんだ」。案内してくれた地元のボランティア教師、ジャック・スコットニッキーさん(57)は、そう言って敷地内の通路に車を乗り入れた。

 「建物の裏にあるため池や湿地に、何十年も劣化ウランのスラッジ(汚泥状の廃物)や汚染水などを投棄してきたんだからね。以前は煙突群からも、大気中に劣化ウランの微粒子が流れ出していたよ」

 近郊住民の飲料水

 小高い位置にある工場の下方には、幹線道路を挟んで近くにアサベット川が流れている。川辺りの側道に車を止めたスコットニッキーさんは「この川の水は、コンコード近郊住民の飲料水。ここが汚染されるようなことがあったら大変なことになる」と、険しい表情で川面を見やった。

 スターメッツ社は一九五八年、核金属社(NMI)という名前で設立された。原爆製造過程で生まれた放射性廃棄物の劣化ウラン(U238)の利用方法などを研究するため、近くのマサチューセッツ工科大学の学者らと協力。完工式には、当時上院議員だったジョン・F・ケネディ元大統領も出席して門出を祝った。

 「初期には、核分裂性物質のウラン235を使った研究もしていた。その証拠に廃棄物の中にその物質が含まれていたんだ」とスコットニッキーさん。

 穴掘り遮へいなし

 軍との契約による劣化ウラン貫通体の本格的な生産は、七〇年代に入って始まった。八〇年代にかけての最盛期には、六百人を超す従業員を抱える企業にまで成長した。 しかし、生産優先の企業体質は、放射性廃棄物のずさんな投棄につながった。工場の裏につくった廃棄物用のため池は、文字通り穴を掘っただけ。コンクリートなどによる遮へいもない池に、八五年までに劣化ウラン百八十一トン、銅三百十七トン、それにウラン235が三百六十キロ以上もたまっていた

 地元の有志が調査

 「信じられるかね、こんなこと」。スコットニッキーさんは大げさに肩をすくめた。こうした実態が分かったのは、地元有志が八九年からNMIについて環境調査を始めたのがきっかけだった。

 NMIは九七年にイメージチェンジを図って社名を変更。九八年九月までに、州の環境保護局の指導などもあり、八百二十万ドル(約八億七千七百万円)のうち、契約相手の陸軍から六百五十万ドルの資金援助を得て、ため池にたまった約六千百立方メートルの汚泥を取り除き、ユタ州の低レベル放射性廃棄物貯蔵所へ運んだ。

 「しかし手遅れだった」とスコットニッキーさん。毒性の強い放射性物質の汚泥からにじみ出た汚染水は、既に周りの土壌や地下水を汚染していたのだ。

マサチューセッツ州コンコード町

<FONT size="-1">アサベット川のそばに立ち、劣化ウランによる汚染を心配するジャック・スコットニッキーさん(マサチューセッツ州コンコード町)</FONT>
アサベット川のそばに立ち、劣化ウランによる汚染を心配するジャック・スコットニッキーさん(マサチューセッツ州コンコード町)

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