2000年5月2日
8 工場閉鎖

「粒子」が40キロ以上飛散 今も除染作業続く

ニューヨーク州コロニー町「米国内には放射能で汚染された核施設がいっぱいある」 と語るレナード・ディーツさん(ニューヨーク州コロニー町)「米国内には放射能で汚染された核施設がいっぱいある」 と語るレナード・ディーツさん(ニューヨーク州コロニー町)

 「ここが工場の閉鎖跡だよ。今も除染作業が続いている」。核科 学者のレナード・ディーツさん(77)の指さす向こうには、フェンス 越しに、うずたかく積まれた土が夕日にシルエットをなしていた。

 敷地内ではなお六、七人の作業員が、深く掘り起こした個所の土 壌をショベルカーでかき集めている。東南の方角に目をやると、近 くにニューヨーク州の州都アルバニー市の高層ビルがそびえてい た。

 アルバニーと境界を接するコロニー町の工場跡には、一九八〇年 初めまで二十年余り操業を続けたナショナル鉛産業会社(NLI) があった。空軍との契約で三〇ミリ砲の劣化ウラン弾の貫通体や、劣 化ウランの重い比重を利用した飛行機の平衡錘(すい)が生産され た。

  放出源すぐに把握

 「私たちは七九年に、この工場の十マイル(十六キロ)先のモニ ター用エアフィルターから、劣化ウラン粒子を発見した」。コロニ ーから北西へ約二十キロ。シュネクタディ市の自宅に戻ったディー ツさんは、自らまとめたリポートを手に説明を続けた。

 当時ディーツさんは、ジェネラル・エレクトリック(GE)社の 放射線問題専門の上級研究員。GEが運営する海軍のノールズ原子 力発電研究所(シュネクタディ市)に籍を置き、周辺の海軍施設の 放射線レベルを質量分析計で測定していた。ノールズ研究所では劣 化ウランを使っておらず、NLIが放出源であることはすぐにつか めたという。

 「五カ月間いろんな地点でチェックした。一番遠くは北西二十六 マイル(四十一・六キロ)でも粒子が見つかった。円形やそうでな い粒子もあるけど、長さは千分の一ミリの四~六マイクロメートル。 呼吸と一緒に体内に入り込む大きさだよ」

  海軍に調査書提出

 ディーツさんによれば、これ以遠にモニター装置がなかっただけ で、風などの条件で粒子はさらに遠方へ飛散するという。彼は調査 データをリポートにまとめ、八〇年一月に海軍へ提出した。

 そのリポート提出から二週間とたたない二月初旬。ニューヨーク 州政府は、NLIに操業停止を命じた。ディーツさんらとは別に、 州環境保全局も独自に工場敷地外の放射能値を測定。一月の劣化ウ ラン放出値が、州基準(一五〇マイクロキュリー)の五倍にも達していた。

 「劣化ウラン量は、州基準で三百八十七グラム。NLIは恒常的にも っと多くのウラン微粒子を放出し続けていた」とディーツさん。

  100億円以上費やす

 NLIは最終的に八三年に閉鎖された。翌年、除染費用の肩代わ りを目的に、工場や敷地をエネルギー省(DOE)へ十ドルで売り渡 した。建物の解体など本格的な除染作業が始まったのは九六年。 「これまでに除染費用だけで一億ドル(約百七億円)以上使ってい る。みんなの税金からね」

 八三年に退職するまで、ディーツさんには海軍以外に情報を提供 する権限はなかった。彼のリポートが工場閉鎖に関係したとは思わ ないという。が、その調査がきっかけで、ディーツさんの劣化ウラ ン弾への関心が高まった。九一年、湾岸戦争で劣化ウラン弾の使用 が伝えられると、地上戦開始(二月二十四日)前の二月初め、専門 誌でいち早く抗議の意思を表した。

 「劣化ウランの量は、三〇ミリ砲で約三百グラム、一番大きい一二〇ミリ 砲だと約四・七キロもある。三〇ミリ砲二個分ほどでアメリカ市民の 健康を守るために工場を閉鎖したんだよ。どうしてそれがイラクや クウェートだと百万個もの使用が許されるというのかね…」

 人柄そのままの穏やかな口調。数字を挙げての専門家の説明に は、限りなく説得力があった。
     
(田城 明)
=第2部おわり=
 

back | 知られざるヒバクシャindexへ