米国内の軍需工場で生産された劣化ウラン弾は、威力を試した り、質の向上などのために各地の試射場で実射される。古くなった 放射能兵器は、他の兵器と同じように廃棄の運命にある。湾岸戦争 退役兵、生産現場周辺の取材に併せ、試射場や廃棄場のある現場を 訪ねた。どの地域の人々も直面している環境汚染や健康被害…。住 民たちは、事実を覆い隠そうとする当局の厚い壁を前に、困難な闘 いを続けていた。
(田城 明、写真も)
2000年5月14日
1 暴露
放射能兵器を試射 内部告発受け確信

  「もうここからは立ち入り禁止の所だ。前の山が試射場だよ」。 黒い帽子にサングラス姿のダマシオ・ロペスさん(56)は、慎重にハ ンドルを切りながら言った。「いつ監視の車がきても不思議じゃな い。カメラ撮影は車内からだけだ」

  侵入阻む有刺鉄線
 ニューメキシコ州立工科大学付属のエネルギー物質研究試験セン ター(EMRTC)本部建物前で、車をUターンさせる。ロペスさ んは監視車がいないのを確認すると、灌(かん)木の茂る悪路をし ばらく走り、試射場のはずれの木陰に車を止めた。

 崩れやすい山の斜面を登ること五、六十メートル。高台から下を 見ると、有刺鉄線が張り巡らされ、「立ち入り禁止」の看板が立て られていた。東方に目をやると、三キロほど先に人口八千人のサッ コロ市の家々が砂漠地帯の平原に張り付いていた。

 ニューメキシコ州の中心都市アルバカーキ市から南へ百二十五キ ロ。一九四五年七月十六日の人類初の核実験が実施された「トリニ ティ・サイト」からは、北西へ五十キロ足らずである。

 「自分の生まれ、育った家は試射場に一番近い所にある」と、ロ ペスさんは自宅の方を指さした。

 元プロゴルファーで、今は非政府組織の活動を続ける彼は、先住 民を先祖に持つスペイン系である。貧しさから逃れるため十七歳で 空軍に入隊。除隊後の六五年、二十二歳で大学に入り、ゴルフクラ ブでプレーをするうちに腕を磨き、六九年にはプロの道へ。八五年 までトーナメントなどに参加していたが、交通事故に遭ったその年 の暮れに療養のため故郷へ帰った。

  強い衝撃 壁に亀裂

 「年が明けてしばらくすると、すさまじい爆発音を立てて実験が 始まった。衝撃で家の壁に亀裂が入るほどさ」。驚いたロペスさん は、管理責任を負う大学の運営委員会の席で実験の中身を問いただ した。「単なる通常兵器の実験にすぎない」。これまでだれも声を 上げなかった疑問に大学側は戸惑いながらも、こう質問をかわし た。

 それから数週間後。ロペスさんの元に、試射場で働く地元の従業 員から数個の段ボール箱が届けられた。「実験場使用に当たって、 大学と劣化ウラン弾製造企業とが交わした数量や金額に関する契約 書などがいっぱい詰まっていたよ」

  学長の侮辱で決心

 放射能兵器と知ったロペスさんは、証拠を示しながら実験の中止 を求め直接当時の学長と掛け合った。すると学長は、色をなして答 えた。

 「どうしたというのかね、君。depleted uraniu mという英語が理解できないんだろう。depleted,つまり 放射能なんて含まれていなんだ。全くの無害だよ。英語の勉強をし なおすんだな」

 日本語で「劣化」と訳されている「depleted」という英 単語には「消耗した」「中身が空っぽの」という意味が含まれてい る。多くのアメリカ人は、その言葉を耳にすると、ウランではあっ ても「人体には無害」と受け止めるようだ。

 しかし、ロペスさんにとって学長の言葉は、アメリカ社会の中で 常に差別されてきた先住民やスペイン系住民への「侮辱」以外の何 ものでもなかった。

 「学長の言葉が私の人生を変えたと言っても過言じゃない」。人 体への影響など劣化ウラン弾の実態を調べるロペスさんの一歩は、 そこから始まった。


「町の人々が劣化ウラン粒子を体内に取り込んでいても不思議じゃない」と試射場を指さすダマシオ・ロペスさん(ニューメキシコ州サッコロ市)

next | 知られざるヒバクシャindexへ